今日は構造主義の学派のカザン学派を見ていきます。カザン学派は、ボードワン・ド・クルトネが、カザン大学時代(1875-1883)に作った構造主義初期の言語学派です。従って、青年文法学派から構造主義への過渡期とも言える学派で、現代語の構造を見ていくという手法も、印欧語比較言語学もこの学派の学者たちは研究しています。
まず、カザンという都市なのですが、現ロシアのタタールスタン共和国の中心地です。人口は100万人を超すという現代ロシアでは大都市なのですが、当時帝政ロシアという時代だということを考慮してください。タタールスタン共和国の公用語が、ロシア語とチュルク(トルコ)系のタタール語の二つであるように、ロシアでも辺境の地でした。カザンの位置については、下記のサイトでКазаньと打ち込んで検索してみてください。
http://maps.yandex.ru/russia
次に、カザン学派の主要メンバーを紹介します(ロシア語名)
· Иван Александрович Бодуэн де Куртенэ(創始者)
· Крушевский Николай Вячеславович
· Богородицкий Василий Алексеевич
· Александров Александр Иванович
· Владимиров Петр Владимирович
創始者のクルトネについては、以前特集しましたので、そのページをご覧ください。他のメンバーのうち、ロシアの言語学史上かなり有名なクルシェフスキーとボゴロージッツキーについて簡単に紹介したいと思います。
●以前の記事(クルトネ特集) http://jazykoznanie.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_94a8.html
クルシェフスキー(1851-1887)は、クルトネと同じくポーランドの出身で、その弟子としてカザン学派の二番目の位置を占める人物です。当時、レスキーンやブルックマン等の青年文法学派が言語学の中心になっていた時代、現代語は祖語の再建等歴史的流れの中で捕らえなければならないということに異議を唱え、現代語こそ研究の中心にすべきであるとといたことで有名です。そして、クルシェフスキーが1883年に発表した、言語学概論(Очерки по языковедению)には、当時西ヨーロッパでは考えられないような視点から言語学を捉えています。「言語学の課題は、形と機能の面からどう言語が発展するのかその法則性を明らかにすることである」という記述です。クルシェフスキーは、言葉を形式および機能という観点から分析しようとしたわけで、言葉を要素に分解しその要素がどのような形態をしているのか、またどういう機能を持っているのか明らかにしていく構造主義の原始バージョンみたいなものを言っていたわけです。クルシェフスキーを、クルトネおよびソシュールと同じレベルで見る学者もロシアにはいます。
次は、同じくクルトネ門下のボゴロージッツキー(1857-1893)ですが、この学者はまずタタール人の多く住むカザンにいたということから、タタール語等を研究したアルタイ語学で有名です。また、ロシアで初めて実験音声学の研究室を作り、ロシアの音声学にも貢献しました。
クルトネが創始者のカザン学派は、以上のように構造主義の初期の学派とみなすことができます。形態素、音素等様々な概念がこの学派から生まれていきました。そして、この学派から生まれたクルトネ等の言語学の思想は、ロシアのレニングラード音韻学派、モスクワ音韻学派、ヴィノグラードフの文法学派等にとどまらず、プラハ学派等海外の後の構造主義の学派に影響を及ぼしました。
残念ながら、日本や西欧、アメリカ等の言語学の歴史の記述には、この学派はあまり盛大に取り上げられることはありません。しかし、ソシュールがクルトネの影響を受けていた、またトゥルベツコイやヤコブソンが元々モスクワ学派の出身で、当時のロシアの言語学が先進的であったから、つまり教育を受けた土台がしっかりしていたからこそ世界的に有名になれたということから、その重要性は避けて通れないと思います。ロシア・ソビエトの言語学というと、社会主義イデオロギーに凝り固まったマール等、またポリヴァーノフ等それに異議を唱えて優秀な学者を失った当、あまり世界の言語学史上重要でないという認識がどうも日本では一般的のような気がしますが、決してそうではありません。以上のように、ロシアの言語学はすごく大事なんだ!ということを認識していただくのが、今回の目的で、長くなりましたが、最後まで読んでいただきましてありがとうございました!次回は、フォルトゥナートフ率いるモスクワ学派を見ていきます。最後に、クルシェフスキーの肖像画をアップ。

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