カテゴリー「「簡単な言語学史」シリーズ」の14件の投稿

簡単な言語学史 総集編

今日は、言語学史をさらりっと見ていきます。流れのみ。もちろん、もれぞれの段階は廃れたわけではなく、現在において後継者され、言語学の一ページを飾っております。

印欧語比較言語学の誕生(19世紀前半)ラスク、グリム、ボップ、ヴォストーコフ、シュライヒャー=印欧語比較言語学を中心に祖語や各言語の歴史的変遷を研究する。

青年文法学派(19世紀後半)レスキーン、ブルックマン、オーストホフ、パウル=印欧語の祖語を再建することが言語学の課題である。音韻法則に例外なし。

構造主義(20世紀前半~20世紀中ごろ)ボードワン・ド・クルトネ、ソシュール、フォルトゥナートフ、クルシェフスキー、トゥルベツコイ、ヤコブソン、ポリヴァーノフ、マテジウス、イェムスレウ、サピア、ブルームフィールド=言葉を静的なものとみなし構成要素に分解することにより、その特徴を明らかにしていく。

生成文法(20世紀中ごろ~)チョムスキー=言葉をその人を取り巻く環境(社会、風習、個性、歴史、発話状況等)から独立した体系を持つ(言語のモジュール)とみなす。

認知言語学(20後半~)ラネカー、レイコフ、=言葉は人間の認識活動の一つとしてみなし、刻々と変化する状況に対する人間の適応現象とみなす。

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簡単な言語学史⑬ サピアとブルームフィールド~アメリカ構造主義を簡単に~

今日は、アメリカ構造主義について簡単に書いていきます。簡単な言語学史シリーズは次回が終わりです。次回はまとめをします。構造主義の後、言語学史は、生成文法学者チョムスキーが現れ、ラネカーやレイコフといった生成文法の批判から生まれた認知言語学という流派が生まれていくのですが、その部分は、現代も言語学で論争が行われているため多くの文献がありますので、そちらを参照にしていただきたいと思います。

まず、アメリカ構造主義の特徴なんですが、ロシアやヨーロッパの構造主義の印欧語中心の言語学とは異なり、アメリカ新大陸での未知の言語、インデアン諸語との接触がすごく影響しています。印欧語とは、かなり違った特徴を持つこれらの言語を研究することで、言語類型論とかがすごく発展しました。そして、言葉をがががっと記述して考察していくことで、アメリカ構造言語学は「記述主義」とも呼ばれます。今日は、サピアという学者とブルームフィールドという学者を簡単に見ていきます。

Photo エドワード・サピア(1884-1939)という言語学者ですが、生まれはドイツです。アメリカに渡って言語学を勉強し、師匠は文化人類学でも有名なボアスです。サピアは、インデアン諸語の研究もすごく有名で、自身の著書「言語」でもインデアンの言葉から多数の例が出てきます。さて、サピアは言語学にどう貢献してきたかですが、言語類型論と言語学と民族学の二つにしぼって、紹介したいと思います。

まず、サピアは、世界の言語を分類する際、その言語で形態素と文がある意味を表わす場合、どのような結び付き方をするのかという観点で世界の言語を3つに分類しました。「分析的言語」、「総合的言語」、「多総合的言語」の3つなのですが、これらは現在の言語類型論でもサピアが残した功績のひとつとなっている基礎的な項目です。

次にサピアは、フォーフという学者と共に、「"現実世界" はかなりの程度社会の言語習慣の上に無意識的に作り上げられるのであり、それぞれの社会は独自の言語を持つから、社会が異なれば世界も異なる。ある言語にあるものを指す言葉がなければ、それはその言語の話し手の思考や世界観の一部にはならず、ある意味では知覚されない。」(Wikipedia引用)という仮説を提唱しました。この仮説は「サピア・ウォーフの仮説」もしくは「言語相対論」とも呼ばれることなのですが、簡単に言うと、言葉はそのひとの世界観や思考、民族、風習等の反映であるという考え方なのですが、難しいですね。哲学的で。この仮説については、社会言語学や民族言語学でもとりあげられる項目なのでそこで詳しく紹介したいと思います。

Photo_2 次に、ブルームフィールド(1887-1949)いとう学者を簡単に紹介しましょう。この人もサピアと同じくアメリカインディアン諸語の研究で有名で、インデアン諸語の比較言語学をしたりと個別言語学の世界でも有名です。一般言語学者、構造主義者としてのブルームフィールドですが、アメリカ構造主義の金看板みたいな人で、チョムスキーが現れるまで、この人抜きではアメリカの言語学の歴史は語れないというほどの人物です。ブルームフィールドの言語観のひとつに、ロシアの生理学者パブロフの影響を受け、「言葉は人間の心的行動のひとつである」と捉えました。

その後、言葉をずずずっと記述して見ていくというアメリカ構造主義の考え方は、生成文法学者チョムスキーによって批判を浴び、言葉はその発話をする人物の取り巻く環境とは切り離して考え、独立した体系である(モジュール)という考え方の生成文法がアメリカ言語学では主流になります(1950年頃から)。

今回でもって「簡単な言語学史」シリーズは終了いたします。次回は総集編を行いたいと思いますので、お楽しみに!

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簡単な言語学史⑫ プラハ学派

今日は、構造主義の黄金時代、音韻論の発展時代であるプラハ学派を見ていきます。プラハ学派については、ソシュールと同じく日本語で多くの文献を参照にできますことから、簡単に紹介しましょう。なお、この学派は、プラーグ学派と呼ばれることもあるのですが、それはプラハの英語名であるため、現地名にしたがってプラハ学派と呼ぶほうが好ましいかと思われます。

さて、この学派なんですけど、1926年に設立され、主にチェコの言語学者+ロシア革命によって逃れてきたロシア出身の言語学者によってメンバーが構成され、ソシュールとクルトネの双方の言語思想の影響を受けた学派です。すごく簡単に紹介すると、構造主義、音韻論がこの学派によってより発展しました。

主だったメンバーは以下のとおり

  • マテジウス(チェコ=テーマ・レーマの概念)
  • トゥルベツコイ(ロシア)
  • ヤコブソン(ロシア)
  • カルツェフスキー(ロシア)
  • トゥルンカ(チェコ)
  • スカリチカ(チェコ)

次回は、アメリカ構造主義について、サピア、ブルームフィールド等の紹介を簡単にしたいと思います。最後に、テーマ・レーマという概念を初めて提唱したマテジウスという学者の肖像画をアップ。

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簡単な言語学史⑪ 別観点からのソシュール像

Photo 今日は、言語学の天才、この人抜きでは言語学の歴史を語れないというソシュール(1857-1913)を簡単に紹介したいと思います。ソシュールの言語思想、またその論評に関しましては、たくさんの文献がありますので、詳しくはそちらを参照していただいたほうがよいと思いますが、ここでは「もうひとつのソシュール像」について簡単にまとめておきたいと思います。

まず、ソシュールですが、初めから構造主義者であったのではなく、若かりしころは青年文法学派でした。印欧語を比較し、その祖語を再建したり、所属する各言語がどのような歴史をたどってきたのか研究しました。比較言語学者としてのソシュールですが、リトアニア語などバルト諸語の歴史的アクセント研究で有名で、フォルトゥナートフ・ソシュールの法則というバルト・スラブ語の歴史音韻論の分野で活躍していました。

しかし、ソシュールは、クルトネとかと同じく、印欧語比較言語学中心主義から脱却し、言葉を要素に分解し、その要素の働きや機能を明らかにしていくという構造主義の考え方に到達しました。ソシュールが提唱した概念、思想の主なものを以下に紹介します。

  • ラングとパロールの対立
  • 共時態と通時態の区別
  • 内部言語学(言葉の構造)と外部言語学(言葉と周辺領域との関係)の区別
  • 言葉の記号性
  • 連辞と範列の対立

これらの概念は、現在でも一般言語学で教えられるべき重要項目なのですが、ソシュールの教壇での講義を弟子たちがまとめて発表した「一般言語学講義」(1916)で世界中に有名になったとされます。

しかし、これらの概念は本当に初めてソシュールが言語学に導入したとは、認めない学者たちもいます。その学者たちはロシアのボードワン・ド・クルトネの弟子たちが主だったメンバーなのですが、今日はその人物たちのソシュール観を紹介して、別の観点から見た言語学史上のソシュールを見ていきたいと思います。

「ソシュールが言ったことは、わが国ロシアでは何も目新しいことではなく、ボードワン・ド・クルトネやクルシェフスキーが19世紀にすでにその結論に達している」という認識もロシアにあり、私もそういう考え方の人間です。まず、ラングとパロールはクルトネがすでに区別していたし、共時態と通時態はクルトネおよびフォルトゥナートフ、言葉の記号性についてはクルシェフスキーがすでにロシアでは言っていて、ソシュールはクルトネと親交があったことから、ソシュールではなく、クルトネこそ構造主義の先駆者であるという意見です。

まあ、ソシュールに関して、こういう見方もあるんだということをこのサイトでは主張したかったわけで、その功績を否定するわけではなく、クルトネと同じレベルで見ていくべき人物であると位置づけたいと思います。ソシュールの偉大さは多くの人々や著書が語っていますようにゆるぎがないものであるということは我々も認めているということも追記して、ソシュールの簡単な紹介にしたいと思います。

次回は、プラハ学派についてごく簡単に見ていく予定です。

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簡単な言語学史⑩ クルトネのもうひとつの学派~「ペテルブルグ学派」~

時代はさかのぼり、ボードワン・ド・クルトネがペテルブルグ大学時代作ったペテルブルグ学派(1920年代から1930の間活動)について、今日は見ていきます。具体的な学者名をあげると、シチェルバ、ポリヴァーノフ、ヴィノグラードフのクルトネの弟子三名にしぼって簡単に紹介したいと思います。

まず、ペテルブルグ学派のメンバーについて主だった人物を紹介すると、、、

  • シチェルバ(1880-1944)

  • ポリヴァーノフ(1891-1938)

  • ヤクビンスキー(1892-1945)

  • ヴィノグラードフ(1894-1969)

  • ベルンシュテイン(1892-1970)

Photo_2 まず、シチェルバ(ЩЕРБА Лев Владимирович)ですが、ボードワン・ド・クルトネの提唱した言語思想のうち、音素と音声を扱う分野、つまり音声学と音韻論の思想を引き継ぎ、さらに発展させた学者です。昨日、モスクワ音韻学派を紹介しましたが、ペテルブルグ大学にもうひとつの音声学を中心に研究を行う学派であるレニングラード音韻学派を創設しました。レニングラード音韻学派のメンバーは、創始者シチェルバを筆頭に、弟子のベルンシュテイン、ジンデル、マトゥセーヴィチが続きます。シチェルバは、音素という概念に関して、対立するモスクワ音韻学派とはその定義や、ロシア語の音素数など異なった独自の捉え方をしております。その具体的な内容は、後日音素とは?という問題を扱う際に、紹介したいと思います。その他ロシア語の品詞の問題や語彙論や正書法の研究等、ロシア・ソビエトの言語学では忘れてはならない重要な人物です。

Photo_3 次のポリヴァーノフ(ПОЛИВАНОВ Евгений Дмитриевич)は、ボードワン・ド・クルトネの提唱した言語思想のうち、比較言語学と言葉が歴史上どう発展するのか?つまり、歴史言語学の分野を継承し、発展させました。ここで、おやっ?と思われた方もいらっしゃるかもしれません。ポリヴァーノフは、日本語学者で、日本語の方言やマライ・ポリネシア語起源説等、外国人としても日本語学の専門家ではなかったのかという指摘です。この指摘ももっともなのですが、これはポリヴァーノフの一面でしかありません。ポリヴァーノフは、40以上の言語を操れて、しかもクルトネの弟子、言語理論、言語発展論、印欧語比較言語学者、音声学・音韻論、ソ連の少数民族の文字や文法をまとめたり、日本語、中国語、ウズベク語、ドゥンガン語、グルジア語、トルコ語等様々な言葉の研究を体系的にしたり、東洋語を題材にした言語学の入門書を書いたりとロシアの言語学の「超スーパーエース」と呼ばれるべき人物です。では、ポリヴァーノフがどのような言語思想を持っていたか、またロシア・ソビエトの言語学の世界ではどのような位置にあるのか詳しくは、ポリヴァーノフの特集をする際に詳しく紹介しますが、日本(特に、日本語学)で認識されている考え方と、ロシア本国でのポリヴァーノフの評価には大きなずれがあるということだけ指摘しておきます。

Vinog 最後に、ヴィノグラードフ(Виноградов Виктор Владимирович)ですが、この学者はクルトネの思想のうち文法理論を引き継ぎ、発展させた人物です。しかし、クルトネの直接の弟子ではなく、シチェルバとペテルブルグに移住してきたモスクワ学派のシャーフマトフの弟子です。特に、ロシア語文法に関しては、すごく有名で、この人抜きにはロシア語文法は語れないような神様みたいな人物です。ヴィノグラードフは、ペテルブルグで言語学を学びますが、後にモスクワ大学へ移動し、1940年代から「ヴィノグラードフ学派」と呼ばれる独自の学派を作ります。ここでは、文法、語彙論、方言学、文体論、ロシア語史等様々なロシア語の研究を行いました。ヴィノグラードフの弟子にマースロフという学者がいますが、この人物はアスペクト研究でも聞いたことがあるかと思います。そのマースロフの弟子の機能文法学者・ボンダルコもアスペクト研究で有名ですよね。クルトネ(カザン・ペテルブルグ学派)+シャーフマトフ(モスクワ学派)の両方の流れをミックスした「ロシアの二刀流」のヴィノグラードフは、ソビエトの言語学のみならず、世界の言語学の中でも注目すべき人物であると思います。

なお、ペテルブルグ大学で活躍した人物を紹介するロシア語のサイト(人物紹介、電子版論文等も入手できる)がありますので、以下リンクを貼っておきます。

http://www.ruthenia.ru/apr/textes/textes.htm

さて、次回ですが、ソシュールを見る予定です。この学者は日本でも世界でもかなり有名で、言語学のコペルニクスみたいな人で、構造主義の象徴的な人物とされ、言語学を学んだ人ならこの人物の名前を聞いたことがない人はいないほどの有名な人ですよね。ソシュールを紹介するサイトや著書はいくらでもありますので、次回は難しいことを抜きに簡単にどんな事を言ったのかを紹介しつつ、別の観点(ロシアの言語学)から見たソシュールの位置づけみたいなものを補足していきたいと思います。

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簡単な言語学史⑨ モスクワ学派の「第三世代」たち

さて、昨日最後に書いたように、フォルトゥナートフが作ったモスクワ学派が、どのような変遷をたどっていったのか、今日は簡単に紹介したいと思います。具体的には、トゥルベツコイとヤコブソンのモスクワ大学時代、モスクワ音韻学派のメンバーです。

フォルトゥナートフの弟子達(シャーフマトフ、ペシコフスキー、ウシャコフ、ドゥルノヴォ等)を第二世代とすれば、トゥルベツコイやヤコブソン、モスクワ音韻学派のメンバーは、第三世代となり、「フォルトゥナートフの孫」とも命名することができます。

Photo_4 まず、トゥルベツコイ(1890-1938)ですが、もともとモスクワ大学に入学した際の専攻は民俗学で言語学ではありませんでした。フォルトゥナートフの弟子のポルジェジンスキーやポクロフスキーの門下で言語学を勉強しつつ、印欧語のみならず、カフカス諸語やウラル諸語等の比較言語学の研究を行いました。1919年にロシア革命により、トゥルベツコイは、ブルガリアのソフィアに移住し、その後ウィーンやプラハで「音韻論の祖」とも呼ばれるようになるのですが、ここで大事なのは、当時ロシアの言語学がクルトネやフォルトゥナートフ等の活躍で進んでいたから、つまり学生時代に受けた教育がよかったからこそ、世界的に有名になれたということです。後日、プラハ学派を紹介するとき書くと思いますが、どうも日本のいろんなサイトや文献を調べてみると「トゥルベツコイやヤコブソンはソシュールの一般言語学講義をもとに音韻論の基礎を確立した」という認識が強いですが、ロシアではそうではありません。「トゥルベツコイは、クルトネやフォルトゥナートフのロシアで培われた言語学の思想のもとに育ち、そしてソシュールの影響を受け、クルトネが基礎を築いた音韻論をより発展させ、世界の言語学に一石を投じた」というように認識されております。わが国の言語学者でロシア語が分かる人が少なかったのか、西ヨーロッパやアメリカの言語学史の認識を鵜呑みにしたのか、あるいはその両方だったのかは分かりませんが、このサイトの主張したいことは、何度も繰り返しますが、言語学の歴史を語る際、クルトネ、フォルトゥナートフの名前を忘れてもらっては、その核心に迫ることができない、ロシアの言語学抜きにして本当の言語学の歴史を語ることはできないと考えております。

Photo_5 次は、モスクワ大学時代のヤコブソン(1896-1982)について簡単に紹介しましょう。ヤコブソンも、トゥルベツコイと同じく、フォルトゥナートフ門下のモスクワ学派の師匠に従事し、ロシアからプラハへ、最後にアメリカのマサチューセッツへ移住し、世界の大言語学者になっていくのですが、教育を受けた土台はロシアのモスクワ大学時代にあるんです。そこを忘れてもらっては、ヤコブソンは語れないと思います。さて、モスクワ時代のヤコブソンがやったことなんですけど、ドゥルノヴォ、ウシャコフ等に従事しつつ、なんと弱冠19歳で、「モスクワ言語サークル」を創設します。このサークルは、言葉と文学、言葉と民俗学、言葉と地理学等、文字を持たない言語の研究、言語文化論等言語学のみならず、その周辺領域との問題も広範囲にわたって研究しました。ヤコブソン以外に、有名な人物は、ペテルソン、ヴィノクール、ヤコブレフ等が参加しています。このようにヤコブソンはモスクワ時代から「言語学のスーパーエース」だったのですが、残念なことにロシアを出ることにより、世界的な名声を手に入れることができました。しかし、それが可能になったのもロシアで受けた教育がよかったの一言に尽きると思います。

さて、上記の2名はモスクワ大学出身の移住組みなんですけど、ロシアに残って、フォルトゥナートフの意思をソビエト時代に継承した「モスクワ音韻学派」と呼ばれるメンバーがいます。このメンバーたちはその名のとおり、主に音韻論を研究することになるのですが、形態論やロシア語史などもちろん音韻論のみにとどまらないことが特徴です。同じ時間列で見た場合、モスクワ音韻学派は、プラハ学派やレニングラード音韻学派と同じ音韻論を中心に扱った学派とは、音素の定義等で異なった考え方を持っています。どう異なっているのかは、音素とは何か?というコラムを設けますので、そこで紹介したいと思います。また、プラハ学派やレニングラード音韻学派の簡単な紹介についても後日紹介します。モスクワ音韻学派の、主なメンバーは以下のとおり。

  • アヴァネーソフ(1902-1982)

  • クズネツォフ(1899-1968)

  • レフォルマーツキー(1900-1978)

  • シードロフ(1903-1968)

  • スホチン(1888-1942)

ロシア語学を専攻されていらっしゃる方は、これらの名前はよく聞くと思いますが、世界的に見るとあまり有名ではないのは残念なのですが、、、

さて、次回は、時間軸を元に戻して、ボードアン・ド・クルトネがペテルブルグ大学時代に作ったもうひとつの学派(ペテルブルグ学派)について見ていきましょう。そのメンバーには、日本でも有名なポリヴァーノフ(東洋語学、歴史言語学)、ヴィノグラードフ(文法理論)等もいます。次回も長くなりそうですが、お楽しみにしておいてください。

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簡単な言語学史⑧ モスクワ学派

今日は、クルトネと肩を並べるロシアの大学者・フォルトゥナートフ(Фортунатов Филипп Федорович)の作ったモスクワ学派を見ていきます。

まず、創始者のフォルトゥナートフ(1848-1914)は、ロシアの比較言語学者であり、一般言語学者でもあったという二つの側面を持っています。それまでの青年文法学派は、印欧語比較言語学主義、印欧語の諸語の歴史的推移、音韻の対応、祖語の再建に力を入れ、現代語は研究対象に値しないとてきましたが、フォルトゥナートフは、青年文法学派と同じく言語学は言葉を歴史的な現象であると説いたものの、一方で現代語の研究や言葉と思考の問題など今で言う一般言語学の諸問題をも扱いました。フォルトゥナートフは、青年文法学派のレスキーンやブルックマン等と同じ世代ですが、言語学を歴史的観点から捉えるのと、現代語の有様を捉えるのと二つの側面を明確にしています。いわゆるソシュールの言葉で言えば、通時態と共時態の区別ですが、ソシュールが行う以前にロシアの言語学の世界ではフォルトゥナートフとクルトネによってすでになされていたというのは、言語学史上充分に注目に値すると思われます。このようにフォルトゥナートフは、比較言語学だけなく、いろんな言葉にまつわる問題に取り組みましたが、その内容を紹介すると、すごく長くなりますので、今後タイミングを見て、フォルトゥナートフの特集をします。

さて、フォルトゥナートフが教鞭をふるった大学は、モスクワ学派の名のとおり、モスクワ大学なのですが、弟子を紹介すると、ロシア語学の世界では避けて通れない大物たちが続々と登場します。フォルトゥナートフは、ロシア国内外の多くの弟子達がいますが、主だったメンバーのみ紹介します。

  • シャーフマトフ(ロシア語史、統語論)

  • ウシャコフ(ロシア語語彙論)

  • ドゥルノヴォ(ロシア語史、ロシア語方言論)

  • ペシコフスキー(統語論)

  • ポクロフスキー

  • ポルジェジンスキー

フォルトゥナートフの言語学派の考え方は、以上に紹介した弟子の弟子達(トゥルベツコイ、ヤコブソン、モスクワ音韻学派のメンバー等)によって、ロシアのみならず、世界中に広まっていき、言語学史上多大な貢献をもたらしたということは言うまでもないでしょう。次回は、フォルトゥナートフの弟子の弟子達を簡単に見ていきます。トゥルベツコイやヤコブソンはロシア時代のみ簡単に。最後に、創始者・フォルトゥナートフの肖像画をアップ。

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簡単な言語学史⑦ カザン学派

今日は構造主義の学派のカザン学派を見ていきます。カザン学派は、ボードワン・ド・クルトネが、カザン大学時代(1875-1883)に作った構造主義初期の言語学派です。従って、青年文法学派から構造主義への過渡期とも言える学派で、現代語の構造を見ていくという手法も、印欧語比較言語学もこの学派の学者たちは研究しています。 

まず、カザンという都市なのですが、現ロシアのタタールスタン共和国の中心地です。人口は100万人を超すという現代ロシアでは大都市なのですが、当時帝政ロシアという時代だということを考慮してください。タタールスタン共和国の公用語が、ロシア語とチュルク(トルコ)系のタタール語の二つであるように、ロシアでも辺境の地でした。カザンの位置については、下記のサイトでКазаньと打ち込んで検索してみてください。 

http://maps.yandex.ru/russia

次に、カザン学派の主要メンバーを紹介します(ロシア語名) 

·      Иван Александрович Бодуэн де Куртенэ(創始者) 

·      Крушевский Николай Вячеславович

·      Богородицкий Василий Алексеевич

·      Александров Александр Иванович

·      Владимиров Петр Владимирович

創始者のクルトネについては、以前特集しましたので、そのページをご覧ください。他のメンバーのうち、ロシアの言語学史上かなり有名なクルシェフスキーとボゴロージッツキーについて簡単に紹介したいと思います。 

以前の記事クルトネ特集 http://jazykoznanie.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_94a8.html

クルシェフスキー(1851-1887)は、クルトネと同じくポーランドの出身で、その弟子としてカザン学派の二番目の位置を占める人物です。当時、レスキーンやブルックマン等の青年文法学派が言語学の中心になっていた時代、現代語は祖語の再建等歴史的流れの中で捕らえなければならないということに異議を唱え、現代語こそ研究の中心にすべきであるとといたことで有名です。そして、クルシェフスキーが1883年に発表した、言語学概論(Очерки по языковедению)には、当時西ヨーロッパでは考えられないような視点から言語学を捉えています。「言語学の課題は、形と機能の面からどう言語が発展するのかその法則性を明らかにすることである」という記述です。クルシェフスキーは、言葉を形式および機能という観点から分析しようとしたわけで、言葉を要素に分解しその要素がどのような形態をしているのか、またどういう機能を持っているのか明らかにしていく構造主義の原始バージョンみたいなものを言っていたわけです。クルシェフスキーを、クルトネおよびソシュールと同じレベルで見る学者もロシアにはいます。 

次は、同じくクルトネ門下のボゴロージッツキー(1857-1893)ですが、この学者はまずタタール人の多く住むカザンにいたということから、タタール語等を研究したアルタイ語学で有名です。また、ロシアで初めて実験音声学の研究室を作り、ロシアの音声学にも貢献しました。 

クルトネが創始者のカザン学派は、以上のように構造主義の初期の学派とみなすことができます。形態素、音素等様々な概念がこの学派から生まれていきました。そして、この学派から生まれたクルトネ等の言語学の思想は、ロシアのレニングラード音韻学派、モスクワ音韻学派、ヴィノグラードフの文法学派等にとどまらず、プラハ学派等海外の後の構造主義の学派に影響を及ぼしました。 

残念ながら、日本や西欧、アメリカ等の言語学の歴史の記述には、この学派はあまり盛大に取り上げられることはありません。しかし、ソシュールがクルトネの影響を受けていた、またトゥルベツコイやヤコブソンが元々モスクワ学派の出身で、当時のロシアの言語学が先進的であったから、つまり教育を受けた土台がしっかりしていたからこそ世界的に有名になれたということから、その重要性は避けて通れないと思います。ロシア・ソビエトの言語学というと、社会主義イデオロギーに凝り固まったマール等、またポリヴァーノフ等それに異議を唱えて優秀な学者を失った当、あまり世界の言語学史上重要でないという認識がどうも日本では一般的のような気がしますが、決してそうではありません。以上のように、ロシアの言語学はすごく大事なんだ!ということを認識していただくのが、今回の目的で、長くなりましたが、最後まで読んでいただきましてありがとうございました!次回は、フォルトゥナートフ率いるモスクワ学派を見ていきます。最後に、クルシェフスキーの肖像画をアップ。

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簡単な言語学史⑥ 構造主義の学派

今日は構造主義に位置づけられるの各学派を見ていきます。前回見てきたように、構造主義とは、簡単に言うと、言語の仕組みを要素に分解していくことにより明らかにしていくという手法です。ちなみに、この「構造主義」という言葉は、言語学だけにとどまらず、哲学等の現代思想でも問題とされることがありますが、元々は言語学の考え方に基づいたものです。今日は学派・流派名の紹介だけにしておき、後日詳細を紹介します。青=ロシア赤=ヨーロッパ緑=アメリカ

  • カザン学派(ボードアン・ド・クルトネ、クルシェフスキー等)
  • ペテルブルグ学派(ボードアン・ド・クルトネ、シチェルバ、ポリヴァーノフ等)
  • モスクワ学派(フォルトゥナートフ、シャーフマトフ、トゥルベツコイ、ヤコブソン等)
  • ジュネーブ学派(ソシュール等)
  • プラハ学派(トゥルベツコイ、ヤコブソン、マテジウス等)
  • コペンハーゲン学派(イエムスレウ、イェスペルセン等)
  • ロンドン学派
  • アメリカ構造主義(サピア、ブルームフィールド、ヤコブソン等)

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簡単な言語学史⑤ 構造主義とは?

言葉は、歴史的産物で、厳密な法則性を追い求めるというのが、青年文法学派の考え方で、それが1900年初めごろにになると批判を浴びてきました。

そこで、歴史的な言葉の変遷だけでなく、現代語も研究対象として、そのありようを描いていく、また言葉の仕組みはどのようになっているのかという考え方が、徐々に生まれてきました。ここで、構造主義という時代に入るのですが、その簡単な特徴をまとめておきましょう。

  • 言葉を様々な要素に分解し、そのそれぞれの要素の役割を明らかにする
  • 分解された要素がどのように集合して、言葉を作りなすのか明らかにしていく
  • それぞれの要素間の間に潜む法則性を明らかにする
  • その要素は静的なものとして捕らえ、発話背景、個人差、歴史的な変化等は考慮しない

以上のような4つの考え方が簡単な構造主義とは何か?という問題に対する答えです。まあ、化学で言う、海の水をH2OとかK(カリウム)、Mg(マグネシウム)などの分子ごとに分けて海の水がどのようになっているのか明らかにしていくという手法に似ています。、さらに、H2Oという海の水を構成する分子をH(水素原子)とかO(酸素原子)という原子に分け、それぞれの原子の特徴を見ていきます。そして、さらに分解された原子を中性子と陽子に分けて、中性子が原子の中でどのような役割をしているのか明らかにしていきます。海の水を言葉に例えると、分子、原子、中性子などのようにそれを構成する要素に分解して、その要素の特徴と結びつきを見ていくのが構造主義となります。では、言葉を構成する要素なんですけど、それはまた今度の機会に見ていきます。

さて、構造主義は、クルトネおよびクルシェフスキー、ソシュール等の青年文法学派から学んだ学者の批判によって生まれてきたもんなんです。いきなり、今紹介したような思想が生み出されたわけではありません。徐々に後継者たちに引き継がれ、発展していきました。

次回からは、構造主義の始まりから、学派の紹介、主だった学者等紹介していきたいと思います。

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簡単な言語学史④ フンボルト

今日は、時代を少しさかのぼってドイツの言語哲学者であるフンボルト(1767-1835)を見ていきます。フンボルトの思想を理解するのは、はっきり言ってすごく難しいです。私も言語学の一般概念とかは得意なのですが、こういう思想とか哲学的なことは難しくて仕方ありませんが、何とかがんばってみます。さて、フンボルトという言語学者が提唱したことですが、今日は簡単にひとつに絞って紹介したいと思います。

「言葉は精神や民族性や思考の反映である」ということです。世界にはいろいろな民族がありますが、その伝統や風習、しきたり、生活習慣や世界観などが言葉の語彙、音声、文法などに反映されるという考え方です。例えば、日本語の敬語という文法のカテゴリーは、縦社会を意識する日本人の精神を言葉に反映しているという考え方です。でも、この考え方は言葉と民族(民族言語学)の問題を考えるとき、すごく大事なことなんですね。

このフンボルトの考え方は、このあと様々な学者によって発展されます。主だったメンバーは、ドイツのシュタインタール(1823-1899)、ロシアのポテブニャー(1835-1891)といったところです。ロシアのポテブニャーについては、後日特集します。最後にフンボルトの肖像画をアップ。

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簡単な言語学史③ 青年文法学派

1870年代から約30年間、比較言語学の歴史は「青年文法学派」という時代に入ります。この学派は、シュライヒャーやシュミットなど旧世代の比較言語学者に比べ若いということから、そう呼ぶことになりました。

主なメンバーは、レスキーン(1840-1916)、オーストホフ(1847-1909)、デルブリュック(1842-1922)、ブルークマン(1849-1919)、パウル(1846-1921)。ドイツのライプツィヒ大学のメンバーである。

ここでは、簡単に言えば心理学的・生理学的な要因で言葉は変化するという青年文法学派の哲学的な難しい捕らえ方を紹介するより、キャッチフレーズみたいなのを書くほうがわかりやすいでしょう。

まず、ひとつめのキャッチフレーズですが、「現代諸語は全く研究対象とせず、言語学は祖語を再建する、つまり言葉は歴史的な一連の流れとしてのみ捕らえなければならない」(歴史主義)。

二つ目のキャッチフレーズは、「音韻法則に例外はなし」。どういうことかというと、印欧語の各語派の音の対応がありますが、それは絶対的に例外は許されない、例外があるのは借用によるものであるという厳密な法則性を追い求めたことで有名です。

さて、このような言語学を歴史的現象のみとして捕らえていく青年文法学派の批判から生まれてきたのが、構造主義となりますが、もちろん過渡期があります。クルトネ、フォルトゥナートフ、ソシュールといった構造主義の先駆者と呼ばれる人々ももともと比較言語学者、また青年文法学派の教えの元に育ったわけでありますので、言語学史を理解する上でこの学派は避けては通れません。最後に、ドイツ語が分かる方は以下のサイトを参照されるといいと思います。ちなみに私はドイツ語が分からない、、

http://de.wikipedia.org/wiki/Junggrammatiker

さらに、ロシア語で知りたい方は、

http://www.lingvolab.chat.ru/library/mlad.htm

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簡単な言語学史② 比較言語学者シュライヒャー

今日は、シュライヒャー(1821-1868)の比較言語学について簡単に見てきます。ドイツに生まれたシュライヒャーは、ダーウィンの進化論に影響を受け、言葉の変化も人類の進化と同じように、自然的な現象として位置づけようとしたことで有名な比較言語学者です。

形態論の観点から世界の言葉を、独立語、膠着語、屈折語(この3つの分類については、「言語類型論」を詳しく紹介する際に見ていきます)に分類したことで有名です。

印欧語比較言語学者としてのシュライヒャーですが、音韻論の祖語再建にて、k,t,pといった閉鎖音系列の子音は、k,t,pのように無声音、有声音のg,d,b、有声帯気音のgh,dh,bhの3つに分けたり、形態論の世界では、名詞の格を「主格」、「対格」、「属格」、「与格」、「位置格」、「具格1,2」、「呼格」、「奪格」の9格を設定したり、数の概念において、「単数」、「双数」、「複数」の3つのカテゴリーを持つなど提唱しました。

それよりも大切なのは、印欧語の歴史的分類です。シュライヒャーは、まず印欧諸語を「スラブ・ゲルマン諸語」と「アーリア・イタリック・ギリシア・ケルト諸語」の二つに分けられると言いました。「スラブ・ゲルマン諸語」は、さらにゲルマン諸語と、バルト・スラブ語に分け、バルト・スラブ語は、その名のとおりさらにバルト諸語とスラブ諸語に分けました。「アーリア・イタリック・ギリシア・ケルト諸語」は、まず東洋語のアーリア諸語と、その他のヨーロッパ諸語に分け、アーリア諸語は、インド諸語とイラン諸語に分けました。その他のヨーロッパ諸語は、ギリシア語、アルバニア語、イタリック・ケルト諸語に次に分け、イタリック・ケルト諸語は、その名のとおり、さらにイタリック諸語とケルト諸語に分けました。シュライヒャーは、このように印欧語を家系図のように分類することにより、印欧諸語がどのように分かれていったのか明らかにしました。このように、シュライヒャーは比較言語学において、「言語の系統図」を導入しました。

さて、最後にいろいろと形態論とか音韻論とか類型論とか言語学の難しい概念が出てきましたね。これらを知らないと、言語学史を理解するのには苦労するわけですが、これらの解説は徐々に行っていこうと思います。最後にシュライヒャーの肖像画をアップしておきます。次回は、「青年文法学派」を見ていきます。

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簡単な言語学史① 比較言語学の誕生

今日からは簡単に言語学の歴史を見ておきましょう。本日は、比較言語学の誕生です。

昔から人々は言葉についていろいろと研究してきましたが、体系的な言語学が誕生したのが、今から200年ぐらい前の19世紀です。イギリスのインド学者ジョーンズが古代インドのサンスクリット語を研究していたとき、それがすごく完成された言語で、またヨーロッパの古典語であるラテン語や古代ギリシア語と文法や語彙で類似点が見られるということでした。そこで、ジョーンズが考えたのは、ヨーロッパの古代語のギリシア語とラテン語、インドの古典語のサンスクリット語は昔同じひとつの言葉ではなかったのかということです。ここから、失われた印欧祖語を再建していこうという試みが言語学の発端となったわけです。

まず、ドイツ人のボップという学者が、サンスクリット語、古代ギリシア語、ラテン語、アルメニア語、ペルシア語、古代教会スラブ語とゴート語やドイツ語などのゲルマン諸語との文法の類似点を比較していきました。また、デンマーク人のラスクという人も有名で、母語であるデンマーク語が属すゲルマン諸語とスラブ語、バルト諸語等との形態論での比較言語学を行いました。ドイツのグリムも有名な学者です。簡単に紹介するとグリムは印欧語諸語の音の対応をも比較したことで有名です。まあ、比較言語学は、ゲルマン民族の学者が圧倒的に多いことが特徴です。

さて、ロシアなんですけど、ヴォストーコフ(1781-1864)という学者がいました。ヴォストーコフはスラブ語比較言語学で有名なんです。古代教会スラブ語とかロシア語やポーランド語など現代スラブ語とを比較して、音韻や語彙、文法等の比較研究を体系的に行いました。

最後にヴォストーコフの肖像画をアップしておきます。 ヴォストーコフについては後日詳しく見ていきます。Photo

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