カテゴリー「言語学一般」の14件の投稿

lingua francaという概念

言語学、特に社会言語学の本を読んだりしていると、lingua francaという言葉が見つかる。

もともとは、ラテン語で、「フランク人の言葉」という意味であるが、あるコミュニティーで用いられる共通語のことを言う。

例えば、アフリカのケニアとかタンザニアには、いろいろな民族の人々がいますが、それぞれの部族では独自の言葉を用いているが、異なる部族間の間では例えばスワヒリ語を用いるている。そのような場合、スワヒリ語はリングァ・フランカだと言う。

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言語学教育に物申す!

言語学と言う学問は、言葉を客観的に捉え、その現象がどのような要因で起こっているのかや、現象を整理して分類する学問である。

しかし、普通大学で、言語学の授業となると、私はあまり共感ができるものが少なかったような気がする。私が唯一、言語学の授業で特に面白いと思ったのは、言葉の本質に関する授業と社会言語学の授業だったと思う。

しかし、それらの授業も、ある程度言語学に関する予備知識があってはじめて判ることであって、予備知識なくそのままいきなり応用に入ってしまうという現状である。

音素や形態素の概念、また文法理論などを知らずして、いきなり生成文法のミニマリスト理論や認知言語学のスキーマという概念、社会言語学でいえば例えば言語相対論、応用言語学ではコーパスの利用の方法などが教授されている気がする。

基礎がしっかりしていないと、家の屋根が安定しないように、学術的なことも基礎学力があってこその応用理論である。それが多くの日本の大学でそのような教授方法がとられている気がしてならない。数学で言えば、掛け算も知らずして、微分や積分を教えているようなものである。

確かに、言語学という学問は、数学などとは異なり、大学から学ぶことしかできない学問である。4年間で早急に学ぼうと思えば、一足とびでいくしかないのである。

海外では普通なのだが、なぜか日本では言語学の基礎について学ぶ機会が無いのは不思議に思う。いったいなぜだろう?普通、自分たちの言語学の学説の内容を生徒たちに理解してもらいたいのなら、まず基礎から教えなくてはならないのではないのか?

なぜ、そういう考えになれない人が多いのか?また、その原因はなぜなのか?この文章を読んでいる皆さんに考えていただきたいと思う。

私は製造業の品質関連で働いているものですので、製品の品質についてその重要性がわかっているつもりです。品質とは、お客様に自社の製品を使っていて満足していもらえるというところから始まります。教育にも品質というものがあるのではないでしょうか?

私は、もう二年以上言語学の一線から離れたものであるので、こういうことを言える立場ではないかもしれないが、言語学の面白さを一人でも多くの人に知ってもらえるよう、各教官は努力していくべきである。

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言語コード

例えば、通貨、アメリカドルをUSD、日本円をJPY、ユーロをEURと表わすように、言葉にもアルファベット2文字で表わすコードが存在する。

言語コードと呼ばれるものであるが、以下に紹介したいと思う。例えば、日本語はJP、ロシア語はRUとかである。

aa アファル語(Afar)
ab アプハジア語(Abkhazian)
af アフリカーンス語(Afrikaans)
am アムハラ語(Amharic)
ar アラビア語(Arabic)
as アッサム語(Assamese)
ay アイマラ語(Aymara)
az アゼルバイジェン語(Azerbaijani)
ba バシキール語(Bashkir)
be 白ロシア語(Byelorussian)
bg ブルガリア語(Bulgarian)
bh ビハール語(Bihari)
bi ビスラマ語(Bislama)
bn ベンガル語(Bengali)
bo チベット語(Tibetan)
br ブルターニュ語(Breton)
ca カタラン語(Catalan)
co コルシカ語(Corsican)
cs チェック語(Czech)
cy ウェールズ語(Welsh)
da デンマーク語(Danish)
de ドイツ語(German)
dz ブータン語(Bhutani)
el ギリシャ語(Greek)
en 英語(English)
eo エスペラント語(Esperanto)
es スペイン語(Spanish)
et エストニア語(Estonian)
eu バスク語(Basque)
fa ペルシャ語(Farsi)
fi フィンランド語(Finnish)
fj フィジー語(Fiji)
fo フェロー語(Faeroese)
fr フランス語(French)
fy フリジア語(Frisian)
ga アイルランド語(Irish)
gd スコットランド・ゲール語(Gaelic [Scottish])
gl ガリシア語(Galician)
gn グワラニ語(Guarani)
gu グジャラート語(Gujarati)
gv マン島ゲール語(Gaelic [Manx])
ha ハウサ語(Hausa)
he (iw) ヘブライ語(Hebrew)
hi ヒンディー語(Hindi)
hr クロアチア語(Croatian)
hu ハンガリー語(Hungarian)
hy アルメニア語(Armenian)
ia インターリンガ(Interlingua)
id (in) インドネシア語(Indonesian)
ie インターリング(Interlingue)
ik イヌピア語(Inupiak)
is アイスランド語(Icelandic)
it イタリア語(Italian)
iu イヌクティトット語(Inuktitut)
ja 日本語(Japanese)
jv ジャワ語(Javanese)
ka グルジア語(Georgian)
kk カザフ語(Kazakh)
kl グリーンランド語(Greenlandic)
km カンボジア語(Cambodian)
kn カンナダ語(Kannada)
ko 韓国語(Korean)
ks カシミール語(Kashmiri)
ku クルド語(Kurdish)
ky キルギス語(Kirghiz)
la ラテン語(Latin)
li リンブルガー語(Limburgish)
ln リンガラ語(Lingala)
lo ラオス語(Laotian)
lt リトアニア語(Lithuanian)
lv ラトビア語(Latvian)
mg マダガスカル語(Malagasy)
mi マオリ語(Maori)
mk マケドニア語(Macedonian)
ml マラヤーラム語(Malayalam)
mn モンゴル語(Mongolian)
mo モルダビア語(Moldavian)
mr マラーティー語(Marathi)
ms マレー語(Malay)
mt マルタ語(Maltese)
my ビルマ語(Burmese)
na ナウル語(Nauru)
ne ネパール語(Nepali)
nl オランダ語(Dutch)
no ノルウェー語(Norwegian)
oc オキタン語(Occitan)
om オロモ語(Oromo)
or オーリア語(Oriya)
pa パンジャブ語(Punjabi)
pl ポーランド語(Polish)
ps パシュト語(Pashto)
pt ポルトガル語(Portuguese)
qu ケチュア語(Quechua)
rm レト=ロマン語(Rhaeto-Romance)
rn キルンディ語(Kirundi)
ro ルーマニア語(Romanian)
ru ロシア語(Russian)
rw キニャーワンダ語(Kinyarwanda)
sa サンスクリット語(Sanskrit)
sd シンディー語(Sindhi)
sg サングロ語(Sangro)
sh セルボ=クロアチア語(Serbo-Croatian)
si シンハラ語(Sinhalese)
sk スロバキア語(Slovak)
sl スロベニア語(Slovenian)
sm サモア語(Samoan)
sn ショナ語(Shona)
so ソマリ語(Somali)
sq アルバニア語(Albanian)
sr セルビア語(Serbia)
ss シスワティ語(Siswati)
st セソト語(Sesotho)
su スンダン語(Sundanese)
sv スウェーデン語(Swedish)
sw スワヒリ語(Swahili)
ta タミール語(Tamil)
te テルグ語(Telugu)
tg タジク語(Tajik)
th タイ語(Thai)
ti チグリニャ語(Tigrinya)
tk トルクメン語(Turkmen)
tl タガログ語(Tagalog)
tn セツワナ語(Setswana)
to トンガ語(Tonga)
tr トルコ語(Turkish)
ts ツォンガ語(Tsonga)
tt タタール語(Tatar)
tw トウィ語(Twi)
ug ウイグル語(Uighur)
uk ウクライナ語(Ukrainian)
ur ウルドゥー語(Urdu)
uz ウズベク語(Uzbek)
vi ベトナム語(Vietnamese)
vo ボラピュク語(Volapuk)
wo ウォロフ語(Wolof)
xh コサ語(Xhosa)
yi (ji) イディッシュ語(Yiddish)
yo ヨルバ語(Yoruba)
zh 中国語(Chinese)
zu ズールー語(Zulu)

ここで、聞いたことも無い言語もあるかと思うが、また紹介したいと思う。

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私の流儀は?

よく、言語学の学生で話になることがある。

私は生成文法だからチョムスキー派だ。おれは認知言語学派だという論争である。

さて、私の立場はどちらなんだろうと答えてみると、私は少なくとも生成文法派ではないとしか答えられない。

私は、大学の授業で、生成統語論と生成音韻論、そして認知言語学の基礎についても学んだ。

それと同時にロシア語学についても研究を行った。私の修士論文は、ロシア語学の形態論と意味論の双方からテーマをピックアップしたが、専門はあくまでも言語学というしかなかった。

指導教官に、なぜロシア語学で論文を書くのに、言語学の道を進むのかと聞かれたが、やはり私は言葉全体に対する憧れみたいのがあったのだろう。

話を元に戻すと、私の過去の記事からみると、少なくとも生成文法の主義主張は唱えていない。どちらかというと認知言語学の考え方に近いことは否めないが、それでもバリバリの認知言語学というわけではないこともお気づきだろう。

私は独学で比較言語学や社会言語学、民族言語学、心理言語学、言語学史、そして統計学の考え方を用いるコーパス言語学についても簡単にかじった。

それと同時に、伝統的な言語学の諸分野である、言葉の本質・機能から、音声学、音韻論、形態論、統語論、意味論・語彙論、文字論等の知識を吸収した。すでにほとんどの知識は失われてしまったが、幸いにも私は言語学を様々な方面から勉強できたわけである。

大学で研究しているとその指導教官により影響を受けてしまい、本当の意味での楽しい言語学を学ぶことは難しい。

私は、そういうシガラミから開放されて、本当に楽しく、そして論文というノルマがなくやらせてもらっている。幸せなものだ。

ということで、私の言語学の流儀は、生成でも認知でもなく、どこに属すものでもない。

極めてオーソドックスな立場であるといわれているロシアの言語学の影響を受けていることは否めないが、無所属というわけである。

このブログをお読みになっている皆さんに言語学の奥深さと面白さを伝えることができたら、ということなので、「言語学教育派」という立場なのかもしれませんね。

これからも宜しくお願いします。

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ロシアにおける言語学

今日はロシアにおける言語学について思っていることを書きたい。

ロシア人の言葉に対する愛情はものすごい。ロシア語で書かれたロシア語学の概説書などを読んでいると、「偉大な我が言葉ロシア語」というような表現が出てくる。また、日本では、言語学を勉強できるのは大学からとなっているが、小学生向けに言語学の概説書があったりして、言葉を観察することに教育が注がれているようだ。

それゆえに、ロシアの言語学の著書等を読んでいるとその雄大さに驚かされると共に、日本語、英語の著書からでは得られない情報にたどり着けることができる。

ロシアでは、ロシア語学と言語学の基礎は変わらない。もちろん、文法理論等いろいろな流派が存在するが、ロシア語学の基礎教科書と言語学の基礎教科書に書かれていることは、全然違う内容ではなく、ものすごくオーソドックスな立場から書かれている。

その点、日本における、日本語学もしくは国語学と言語学の立場の違いであろう。日本語学の基礎概念と言語学の基礎概念がものすごく離れていて、両者の片方を勉強したからといって、他方を勉強するとなるとなかなか難しい。

とにかく、ロシア語が分かる方は、ロシア語で言語学を勉強してみるとすごく面白い。題材としてある言語がロシア語である場合がすごく多い(もちろん、英語、ドイツ語、フランス語やラテン語、ギリシア語、カザフ語等の外国語もある)というのも、日本における言語学の状況とはかなり異なっている。日本語の言語学の教科書は、英語と日本語の例がほとんどでであり、私にとってはあまり興味をそそられない。

ロシアの言語学は奥深く、そして多様性にとみ、基礎はしっかりしており、汎用性の高い完成されたものであると私は感じられずにはおられない。

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ロシアの言語学での音声学と音韻論

今日は言葉の本質を離れ、言語音の話をします。音声学と音韻論の区別は非常に難しいのですが、「音素」と「音声」の区別が出来れば簡単です。ただ、ロシアの言語学では、音声学と音韻論をまとめて、フォノロギア(音声学)と呼ぶことがあります。つまり、狭義の音声学と、言語音を扱う言語学の分野全体を指す広義の音声学があります

言語音は、音素と音声というに側面を持つ音であるため、音声学という言語学の一分野を、音素を扱う分野と音声を扱う分野とにまず二分されます。音素を扱う分野を音韻論(фонология)、音声を扱う分野を狭義の音声学(фонетика)と言います。狭義の音声学と音韻論の区別を簡単にまとめると以下の表のようになります。

音声学

фонетика 言語音の音響的な性質、また調音器官や聴覚器官がどのように働いて言語音が調音され、伝えられるのかを明らかにする言語学の一分野。言語音の物質的側面である音声(звук)を研究対象とする。

音韻論

фонология 言語音の観念的側面である音素(фонема)を研究対象とし、その音素が言語体系でどのような性質を持ち、またどんな働きをしているのかを明らかにする言語学の一分野。

ここで、ロシア言語学に通じていらっしゃらない、例えば日本語や英語の音声学・音韻論が専門の方は、あれっと?思われたかもしれません。狭義と広義の音声学なんて区別していたっけ?音声学と音韻論は同じ言語音を扱う分野だけど、言語学ではハッキリこの二つの領域を分け、この音声学・音韻論という二つをまとめる分野はないのではないかという疑問です。しかし、それはわが国、アメリカの言語学の伝統であって、ロシアの音声学・音韻論はそれとは別の独自の伝統を持っています。言語学の歴史の話となりますが、音素と音声の区別をはじめて行ったのは、つまり音韻論と音声学を区別したのは、ロシアの偉大な言語学者ボードワン・ド・クルトネです。これ以後、音声学・音韻論の歴史は始まりますが、わが国やアメリカなどの音声学・音韻論はヤコブソン(Р.О. Якобсон)、トゥルベツコイ(Н.С. Трубецкой)などロシア・モスクワ大学出身のプラハ学派の音韻理論が元になって、アメリカに移住したヤコブソンが音韻論の基礎をわが国をはじめロシア以外の世界に広めたというわけです。しかし、社会主義革命時に、ロシア国外に移住しなかったカザン・ペテルブルグ大学のクルトネの弟子やフォルトゥナートフ門下のモスクワ大学のメンバーたちは、クルトネ大先生が基礎を築いた音声・音韻論を海外移住したヤコブソンやトゥルベツコイとは別の手法でもって発展させました。ロシアの伝統では、まず音素とか音声とか関係なく、言語音全般を扱う分野を音声学(фонетика)とよんでいます。さらに、ロシア言語学の伝統では、音声学という言語音を扱う言語学の一分野を次のように4つに分類します

調音音声学(артикуляционная фонетика)

言語音がどのように口や声門などの調音器官で作られるのか、またある言語のそれぞれの音声がどのように調音されるのかを問題とする生理学的音声学の一分野。音声を発するメカニズムを明らかにする。

音響音声学(акустическая фонетика )

言語音がどのような物理的特徴を持った音の波であるのか、あたある言語のそれぞれの音声がどのような音響学的な特徴を持った音であるのかを問題とする物理学的言語学の一分野。音声が空気を解して伝わるメカニズムを明らかにする。

聴覚音声学(перцептивная фонетика)

言語音がどのように耳などの聴覚器官で受け取られ、我々が言語として理解するのか明らかにする心理学的音声学の一分野。

機能音声学(функциональная фонетика )

音韻論と同じ。ただし、фонологияのほうが一般的に使用されるようである。なお、この「機能音声学」という用語はフランスの機能言語学者マルチネ(A. Martinet)が提唱した。

音素と音声の区別については、後日解説します。

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言葉と思考と一般化

私たちは、身の回りに何かが起こると、それを自分の価値観やもののとらえ方に基づいて、その起こったことに対して評価を下します。哲学っぽくて何のことかわからない?具体例を出しましょうか。例えば、Aさんというどこかの社長が死んだとします。BさんはすごくAさんに世話になっていたのですごく悲しみました。ところが、CさんはAさんを嫌っていたためにやっといなくなったと内心喜んでいます。また、Dさんは新入社員で、A社長のことをあまり知らなかったために、Aさんの死亡はそんなに悲しいわけでもなく、あまり自分には関係ないように感じています。このように、我々は常に周りの起きることに対して、うれしい、つらい、こんなこともあるから我慢とか、明日もいい状況が続きますようになどと「評価」しながら生きていっています。つまり、そのとき起こった現象を認識し、その認識(сознание)に対して何かを思うわけですが、その認識により生じた思いを感情(чувство)や思考(мышление)とよびます。

思考と感情とは違うものです。感情とは、ある現実に起こった現象に対して、それを苦しい、苦い、楽しい、イライラする、恐ろしいと漠然と感じる一過性の心理状態の表れであり、思考とは、ある現実に起こった現象に対して、それにより生じた感情をさらに概念化し、判断し、推理するといった高次の心の働きのことをいいます。生物学、特に生理学に通じた方なら、ロシアにパブロフ(И.П. Павлов)という有名な学者がいて、人間と動物の感情・思考のタイプを第一信号系(первая сигнальная система)と第二信号系(вторая сигнальная система)に分けました。第一信号系とは情動的な感情の伝達、第二信号系とは概念や思考を表す言葉のことなのですが、このパブロフの分類は、人間の言葉はどんな特徴を持っているのかを明らかにする言語学にとってもすごく意味があります。感情を表す手段(つまり、第一信号系)は、動物にはあります(鳴き声などが記号となる)が、第二信号系(つまり、言語)によって行われる思考はありません。つまり、動物はその時生じた一時的な評価しか出来ない(感情しかなく)、明日につらい感情を抱くかもしれないとか複雑な評価(思考)は出来ないわけです。このように、明日につらいことが起こってしまうと予想するということは、実際の現実から遊離した評価(推測)であるため、一過性の感情ではなく思考です。思考は人間にしか出来ないことです。では、なぜ人間にしか思考がないということですが、これは人間の言葉がそうできるように機能しているからです。さあさあ、話がどんどんややこしくなってきましたね。この話はみなさんにとってすごく難しいかと思います。しかし、言葉とは何かと考える言語学にとっていちばん大事なところでもあるのです。拙い文章で申し訳ございませんが、皆さんに少しでも理解できるよう努力していきます。

しかし、第二信号系で表される概念や思考は、言葉によるものだけではないと思われます。その証拠に、次のような体験を誰もがしたことがあると思います。直観でどんなことか分かっているのに、それが頭の中でモヤモヤ~としてどう表現したらいいのか分からない。頭ではどういうことか分かっているのに、なぜか言葉になぜかできないというような経験です。論文で書きたい内容があるのに、言葉で表すいい表現が見つからないといったところです。その時、あなたは言葉ではなく別のもので思考を頭の中でまとめているということになります。それは、映像による思考です。例えば、明日大事な試験があって、そのことが気になって頭の中で明日の試験現場を映像として思い描いている。昨日、大きなミスをして、それで恥をかいてそれをふとイメージとして思い出すなどいったところです。我々は、言葉で物事を考えることもあれば、映像で考えることもある。このように、言葉は思考のひとつの手段であって、思考は言葉によって必ず表されるというわけではないということに注意してください。特に、ロシア語ができる方に注意していただきたいんですけど、ソ連時代に書かれた古い時代の言語学文献には、思考と言葉を同一視するものがあります。これは、マルクス主義の思想によるものです。

さて、ここで第二信号系である言葉がなぜ概念や思考という動物にはない認識が出来るのか、またそれによって何が出来るのかをこの段落で考えていきたいと思います。今度は、視点を逆にして、動物にはできなくて人間には出来ることからこの難問を切り崩していきましょう。人間にしか出来ないこといっぱいありますよね。本能的なところから例を出しますが、動物ではえさが与えられるとすぐに食べてしまいますが、人間は例えば今はお腹がいっぱいだから明日においておこうとか、動物では寝たいと思えばすぐに寝てしまいますが人間は眠いけど今は仕事中なので寝てはならないとかいったところです。動物には本能を抑える理性がなくその場で感情が生まれるとすぐに行動をしますが、人間は起こる感情を我慢できます。なぜ人間は我慢できるのでしょうか?それは言葉があるからです。言葉は物事を一般化した概念を表すことができるからです。一般化とは何なんでしょうか?2例えば、「りんご」を例にしますと、この世にたくさんある個々のりんご全てをringoという音の塊の形で現せるということです。このringoという音の塊(言葉記号)は、個々のりんごすべてに持っている特徴、つまりりんごの本質的な特徴を抽出しているとなります。それぞれの、りんごの色とか、形、大きさ、産地、身になった時間、売り出されているところ、値段など個別のことを無視し、「バラ科の落葉高木。また、その果実。葉は卵円形。四、五月ごろ、葉とともに白または淡紅色の五弁花を開き、のち球状の赤色などの実を結ぶ。甘酸っぱく白い食用部は、花托の発達したもの」(『大辞泉』より)という個々の「りんご」を一般化(概念化)した形式です。ここで、なぜ言葉は一般化やしては概念化できるかということなのですが、言葉は恣意的な記号であるからです。このテーマについては後日書きます。

ものごとの概念化した本質を取り出すということは、なぜ必要なのでしょうか?それは、区別をするということが理由です。「りんご」と名づける時は、りんごでないものと区別するためとなります。では、なぜものごとを区別する必要があるのでしょうか。それは、本能的なことから判断するとわかりやすいと思います、例えば危険なものとそうでないものを区別する、つまり「危険」という概念を形成するということは、生命維持に関わる大きなことです。「危険」と認識することにより、命を守ろうとするわけですから、「危険」と認識することで今は緊張や警戒をしろ!となり、これは刻々と変化する周囲への環境への適応手段となります。認知科学や認知言語学専門の方はよくお分かりだと思いますから、詳しくはそちらの本を参照していただければと思います。

さてさて、言葉を使用することによって、我々人間はこの世に存在する森羅万象をカオス(理屈が通らないめちゃくちゃな状態)ではなく、本質を取り出しうまく整理していることから、現実に起こっている場面から遊離した物事の認識が可能なのです。意味が分かりますか?前段落で、りんごの本質とは、今目に見えているそのりんごではなく、すべてのりんごを示せると書きましたね。現実に起こっている場面とは、例えばAという人が手にとっているBというりんごのことです。しかし、ringoで表せるのはこのような「現実のりんご」だけではなく、例えば100年後のイギリスのどこかで実るものであってもいいわけです。そのようなりんごは「現実から遊離した仮想的な」りんごというわけです。つまり、我々の言葉は概念化、一般化した概念をとらえる際、ものすごい役割を担っているわけです。

話を元に戻しますが、このように現実に起こっていることから距離を置いて物事を認識できるということから、人間が今はお腹がいっぱいだからこの食べ物は明日においておこうとか、眠いけど今は仕事中なので寝てはならないという理性的な思考が出来るというわけです。そして、これは本能にとどまる話ですが、人間は言葉を使用することにより、さらに現実から遊離した概念や一般化を行うことが出来ます。例えば、「つらい」、「苦しい」、「うれしい」などをひとまとまりにして、「感情」という高次の概念を生み出します。このように、現実にとらわれないというものの認識は、言葉を使用できない動物にはありません。今のこの場面にとどまらない認識は、時間という抽象的な概念を生み出し、明日にこういうスケジュールを立てたり、過去にこういうことがあったから現在にそれを生かすということもできます。換言すれば、歴史や文化(精神的な人間の生活様式の全体像。学問、風習、宗教など)や文明(物質的な人間の生活様式の全体像。石器、望遠鏡、電車、パソコンなど)そのものを人間が生み出せたのも、一般化、概念化を行える言葉さまさまなのです。言葉はこんなに偉大なもので、言葉がなければ今の人類が無いわけですから、我々言語学者は他の学問の人にそのことをアピールし、もっと誇りを持ってもよいかと私は認識しております。

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言葉の機能について ~言葉はどのような働きをするのか~

前回に続き、言葉の本質について解説します。今回は、言葉はどのような働きをするのか?つまり、「言葉の機能」について見ていきます。

言葉は、どのような性質なものを持ったものであるのかと考える際に、それがどのような働きをするというのかという観点からも答えることが出来ます。例えば、「トラクター」という農機具とは何か?と考える時、それを田んぼや畑を耕すために使用される機械と答えるように、言葉はどのような目的で使用されるのか考えてみようというのが今回の目標です。ただ、言葉は何のために使用されるのかと考える際に、誰でも答えられる働きと、少し考えてみないと分からない働きとのふたつの大きな働きがあります。

まずは、誰でもわかることから紹介すると、他の人とのコミュニケーションを目的に言葉を我々は使っているということです。例えば、会社で上司に業績を報告したり、マスメディアが今日起こった事件を伝えたり、貼り紙で「激安!」と広告を出したりと、何らかの意志伝達を行うために言葉は使用されるということです。

しかし、言葉はコミュニケーションの機能だけでしょうか?先ほどトラクターが田んぼや畑を耕すために使用されると書きましたが、トラクターはそれ操っている人を農業倉庫から目的の田畑まで運ぶという役目も担っています。トラクターは、小型特殊車に分類される立派な運搬機です。このような人を運ぶというトラクターの第二の機能は、意外と見過ごされがちなのですが、重要な役目ですよね。言葉にも、コミュニケーションというトラクターに例えれば耕す機能以外に、物事を考える、また物事を認識するというすごく大事な機能を担っています。「あ~、明日銀行へ行って、100万円引きおろして…」とか、「部長のくそやろ~」(笑)とか頭の中で考えることは言葉で考えることがあるということです。言葉は物事を考えるために使うのは分かったが、物事を認識するのは分からない!言葉がどう関わっているん?目か耳という感覚器官とそれを処理する脳だけあれば認識はできるんとちゃうん?となりません?これはすごく言葉の根源に関わることですので、後日検討いたしますすごく大事なのは以上の二つの機能なのですが、他にも言葉は次のような働きをします。

●感情を表す機能 つらいとか、くやしい、うれしいなどの感情を表す機能
●情報を蓄える機能  書き言葉に関わりますが、何かの内容を記録に残すという機能
●言葉を説明する機能 辞書の記述のように、ある言葉の意味を説明できるという機能

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言葉は何の現象?

言葉の本質的な話を続けたいと思います。今回は言葉は、何現象?という漠然としたテーマを設定したいと思います。例えば、雷はどんな現象かといわれると気象学的な現象とされ、今月A社の○○という製品は1000個売れたという現象は経済学的な現象、織田信長が今川義元を討ち取った桶狭間の合戦は歴史的な現象、さらに幽霊が出る(笑)のは怪奇現象!!としてと定義できます。さて、言葉はどのような現象になるのでしょうか?

生物学的現象としてとらえる場合。言葉は、脳の命令によって、呼気を肺から出し、声帯を振動させ、声紋の開け閉めや、舌など口の器官を動かすことにより、音の出方を調整することにより発せられる。また、音として伝えられる言葉が、外耳により集められ、その集められた音が外耳道を通って鼓膜へと伝えられ、鼓膜が振動することにより蝸牛とよばれる部分に伝えられることにより電気信号に変換し、聴覚神経を伝わって脳に伝えられ、言葉は受け手に認識されます。これは生理学的な側面から言葉を捉えた記述ですが、遺伝学からもとらえることができます。我々は言葉を歩くのと同じように自然発生的に習得する。つまり、人間の遺伝子のどこかに言葉を習得するという書き込みがあるから、言語機能に疾患のない人は言葉を発し理解できると考えられます。このように、言葉は人間の生理学的な現象としてとらえることができます。

記号の現象としてとらえる場合。言葉は形と意味の対立があるという体系であることから、表されるもの(意味)と表すもの(形)の2つの側面を持つ記号の一種として定義できます。言葉は記号の一種であるということは後日詳しく、、、

認知・思考の現象としてとらえる場合。思考・認識と言葉の問題は遠い遠い昔から哲学の問題として扱われています。そして、近代になって言語学が生まれ、多くの学者がいろいろなことを言っていますが、言葉は人間が物事を考える際に、また我々を取り巻く世界を知覚する際に大きな力を貸してくれていることがわかっています。このように言葉は人間の認識や高度で複雑な思考の形成に関わる現象です。

心理学的現象としてとらえる場合。言葉は、寝るとか食事を取るとかテレビを見るとか仕事をするとか、ハワイでバカンスをとるとか人間の行う行動のひとつであります。例えば、寝ることや食べることは生命維持のためなど、人のいろいろな行動の意味理由を説明していくのが心理学の課題です。さてさて、言葉は考えるためと他の人とコミュニケーションを取るという意味を持った人間の行動のひとつであるから、心理学的な現象ともとらえることが可能であります。

社会学的現象としてとらえる場合。前に人間の言葉は社会環境によって影響を受けると書きましたが、それは言葉が社会的な現象であるという他にありません。言葉は、思考の手段のひとつであると同時に他者とのコミュニケーションの手段であるため、ある社会集団の中での情報のやり取りに使用されます。このように言葉を社会的な現象として結論付けて言語学の研究を行うのはソ連時代よくなされてきました。マルクスやエンゲルス、レーニンやスターリンの社会主義思想から見た言葉についての引用がよくされていましたよ。

歴史学的現象としてとらえる場合。言葉は昔からあり、世代から世代へと伝えられ、その姿は変遷していくため、歴史的な側面を持っています。今のトルコの位置に遥か昔ヒッタイトという国がありました。初めて鉄器を使って周りの国々を征服し、強大な帝国を作り上げましたが、時は経ち異民族の侵攻により滅ぼされて、今は遺跡として歴史上に存在するのみです。そのヒッタイト人によって使われていた言葉をヒッタイト語といいますが、今は死語となって使用している人は誰もいません。これは言葉が死ぬという例ですが、言葉が生まれるという例も存在します。昔々、ロシア語、ポーランド語、セルビア語の先祖は同じで共通スラブ語という同じ言葉を話していたとされます。その後、様々な理由によってスラブ民族が分断され、ひとつだった言葉は今のように別々の国家語となりました。このように、言葉は歴史と共に興亡を繰り返すようにできています。このような観点から言葉は歴史的な現象であるともとらえることもできます。

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ラングとパロール~マクロ・ミクロの対立~

ラング(язык)パロール(речь)という概念は、言語学にすごく重要な概念です。ロシア語がわかる人なら、языкречьは共に「言語・言葉」という意味を表す似たような語同士であるから、言葉を何らかの基準で分類したものと推測できますね。さて、この二つの「言葉」はどう違うのでしょうか?それを理解するためには、次のような例から入るのがわかりやすいと思います。我々は、ドイツ人を合理的で勤勉な民族だとか、イタリア人は陽気で人付き合いがいい民族とか、その国の国民性というのをどこかで聞いたことがあると思います。しかし、本当にすべてのドイツ人が勤勉なのか、またすべてのイタリア人が陽気なのかというとそうではありません。合理的で勤勉なイタリア人だってたくさんいると思います。このように、国民性というのは、ドイツ人は大体こうだとか、イタリア人には陽気な人が多いとかという全体の傾向であって、個々にはいろんな人がいます。「ラング」とは、「ドイツ人は勤勉な民族だ」とか「イタリア人は陽気な民族だ」というのと同じく、個々人を無視した言葉の全体像みたいなものです。それに対して、パロールとは「個々のドイツ人」ということで、人それぞれの言葉ということになります。難しい言葉を使えば、ラングはマクロ体系、パロールはミクロ体系ともいえます。さて、ラングとパロールがそれぞれどのような性質を持った言葉であるのか、またその関係はどうなっているのか、そしてなぜ二つの区別が必要なのか考えていきたいと思います。少し補足しますと、言語学をある程度勉強した人向けになりますが、ラングとパロールの問題についてはいろいろな学者がいろいろなことを言っています。フンボルト、ソシュール、イエルムスレウをはじめ、ロシア・ソビエトではポテブニャー、ボードワン・ド・クルトネ、フォルトゥナートフ、シチェルバ、スミルニツキーといったところです。それぞれの学者がどのようにとらえたのかは、後日紹介したいと思いますが、ここではロシアの言語学入門書に書かれている基本的なことを抑えておきます。

まず、ここで知っていただきたいのは、人それぞれに個性があるように、話す言葉にも言葉の癖があるということです。あなたは相手の意見等に同意する際次のうちどの用例をよく使いますか?「そうですね」、「そうですわ」、「そうっすね」、「そうやな」、「そうやわ」。そして、身近な人やいろいろな人と比べてみてください。人によっていろいろな答えが返ってくると思います。このように厳密な目で見ると、我々が使用する言葉はその人の数だけバリアントがあるということです。まったく同じ人がいないように、まったく同じ言葉を話している人はいないのです。言語学者は人それぞれ言葉は異なった言葉を使っていると知っていますが、一般の方や学び始めの人には信じられないかもしれません。しかし、これは現実です。信じられませんか?じゃあ、人によって言葉が異なっていているんだったらなぜ話が通じるのか?コミュニケーションが成り立つのか?我々は同じ「日本語」を話しているではないか。異なっているなんて信じられないと思われると思います。さてさて、キツネにつままれたようなお話かもしれませんが、聞いてくださる様お願いいたします(笑)。

まず、人によって言葉が異なっており、まったく同じ言葉を話す人はいないという証拠を出しましょう。我々は、言葉を用いて情報をやり取りしていますが、初めて会う人と何か話がかみ合わないなあと思うという経験があると思います。相手がどのような人かわからないので、相手はいろいろと言ってくるけど、その意図がイマイチわからないという経験です。また、我々は相手の言葉を誤解してしまうこともあります。相手は別のことを言っているのに、自分では違うように解釈している。同じ日本語を話しているはずなのに相手が理解してくれない。つまり、これは我々が一人ひとり言葉が違っているから起こる現象だからです。もし、すべての人が同じ言葉を使っていたら、相手の言葉を誤解することはないし、完璧に意志伝達が出来るはずです。このような他にひとつとない個々人の言葉をパロール(речь)といいます。

では、なぜ同じ日本語で話していても一人ひとり異なっているのに、話が通じたり、相手を理解することが可能なのでしょうか?我々はひとつしかない言葉を話しているのにですよね。不思議ですよね。それは、ラング(язык)という「仲介言葉」が存在するからです。つまり、我々は無意識のうちに言葉には決まりごとがあって、そのルールになるべく沿うようにしているわけです。例えば、「川」という語は人によってまったく同じもとのして認識されているわけではありません。その証拠に、「川」と聞いてまず何をイメージしたかを調べると、ある人は山奥のと清流とか、別の人は黄河のような広大なものをイメージし、また別の人は近所のどぶ川(笑)を思い浮かべているでしょう。しかし、パロールという言語体系では個々人によって「川」という語は異なる意味を持ちますが、ラングという言語体系では「川」は「雨などの自然の水が集まり、陸上のくぼみを傾斜に沿って流れ下る水路」というふうな意味を持ちます。このラングという言語体系は、みんなの暗黙の了解で作られ、現実には話されないが、みんながあこがれる模範的な言葉ともいえます。我々の言葉は個々人によって違っているけれども、なるべくラングに近い用法で話そうとしています。言葉を発する側がラングから大きく離れ、受け取る側がラングに近いように言葉を受け取ってしまうと、そこで誤解が生じることになります。しかし、そうでない限り、我々のコミュニケーションの大部分が成り立つのは、ラングという規範的な言葉を手がかりに、相手のパロールと自分のパロールをうまく一致しようとしているからです。難しい話でしたが、分かりましたでしょうか?ラングとパロールの特徴をまとめると以下のようになります。

ラングvsパロール

L. みんなの言葉  p. 個人の言葉

L. 一般化された抽象的な言葉  p.ある場面での具体的な言葉

L. 規範化された理想的な言葉  p.実際の運用に即した言葉

L.安定した言葉  p.変化が激しい言葉

ラングは、標準語みたいなものとして考えてもらって構いません。文法書とか、また、語彙であれば辞書に載せられている内容とか、発音であればアクセント辞典にのっている「言葉の法律」みたいなものです。「我々は日本語で情報のやり取りをしている」という表現の「日本語」はラングとなります。それに対して、パロールは、個々人が話す言葉の癖みたいなもので、また実際にある場面にある人が話した言葉のことも指します。

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言語の普遍性

以前、世界の言葉は3000以上あると書きました。確かに日本語、ロシア語、英語を比べてみると、「私」という概念を表わす音の塊が、watasijaaiと全然違いますし、ロシア語では名詞の語形変化があったり、英語とロシア語では語順の役割(ロシア語:テーマ、レーマを表わす、英語:名詞の格を表わす)が違っていたり、おまけに3つの言葉は表わす文字(日本語:漢字+仮名、ロシア語:キリル文字、英語:ラテン文字)までもが違うと相違点ばかりが目立つような気がします。

しかし、共通している点もあります。例えば、3つの言葉は「私」と「あなた」を区別する言葉がある(ロシア語ではЯТЫ、英語ではIyou)とか、動詞は語形変化をするとか、文字を持つ言語(世界には、文字を持たない言語も沢山あります。文字を持つ言語は、300語程度といわれています)であるとか共通点もあるのです。

さて、今回は、言葉であれば必ず持っている特徴というのを簡単に9点紹介したいと思います。そのような特徴のことを「言語の普遍性」(языковые универсалии)といいます。それぞれの特徴について詳しくは別のところで紹介しますが、、、

人間のみが使用するということ
人間の認知活動のひとつであること
記号の一種であること
森羅万象を必要に応じて区分けし、一般化して表現するという特徴を持った形式であること
人間のコミュニケーション(意志伝達)の手段のひとつであること
人間の思考や認知、感情を表す手段のひとつであること
構造をなした体系であること
ミクロ(個別)とマクロ(一般,全体的な傾向)の対立のある体系であること
安定化しているが、時には変化しうる体系であること

これではぜんぜんわからな~いという人もいると思います。めちゃくちゃ難しい問題ですので、これだけで全部わかった人は言語学のプロか天才ですね(笑)。詳しい説明は、次回以降のお楽しみということに。

ロシア語が解る方はこちらのサイトも参照するといいかもしれません。http://www.krugosvet.ru/articles/69/1006980/1006980a1.htm (Энциклопедия Кругосвет®)

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言語学の諸分野

数学が代数学、幾何学、確率などに分けられるように、言葉を研究する際も、様々な分野に分けることができます。ソビエト時代に出版された大変優れた言語学のゴロヴィンの入門書には、一般言語学が扱う課題(分野)として次のような9つの分野が列挙されていますので、それを拝借いたしまして、言語学の扱う諸問題について簡単に概観したいと思います。

1.    言葉の本質的な特徴について 

2.    言葉がどのように組み立てられ、構造的に分解できるのかについて 

3.    それぞれの構造がどのような性質を持っているのかについて 

4.    言葉がどう変化(歴史的に発展)するのかについて 

5.    文字の種類と特徴について 

6.    世界の言語の分類について 

7.    言語学の研究手法について 

8.    言語学で研究された内容が実社会でどう応用されるかについて 

9.    言語学と他の学問との関係について

以上、ゴロヴィンがあげた9つの項目はロシアの伝統的な言語学で問題とされるすべての分野を網羅しています。1-9までの項目を具体的に解説すると

1の「言葉の本質的な特徴について」は、哲学や人類学、認知科学、さらに社会学など多数の他の学問に関わってくる大きな問題です。言葉を使用するということによって、人間が他の動物には不可能な高度なことができるようになっています。言葉とは何なのか、人間社会にどう関わっているのかなど言語哲学ともいえるべき課題について扱います。

2の「言葉がどのように組み立てられ、構造的に分解できるのかについて」は、我々の言葉がどのような構造的な体系を持っているのかを明らかにしていきます。先に答えを言ってしまいますが、我々の言葉は、階層構造をなしています。例えば、「私はショパンが好き」という文を例にとると、当然のことながらある意図を伝える形式です。この意図を持つ最小の単位である文はさらに分解することができ、語という単位に区切ると、「私・は・ショパン・が・好き」と5つの要素に分解することができます。さらに、「好き」という語(動詞)は、「すk」という語幹と「i」という語尾に分解できます。さらに、「すk」という語幹は、/s//u//k/という音素に分解することができます。このように我々人間の言葉は、企業に例えると文という会社あって、語という課があって、形態素という係があって、音素という平社員がいるというように、上下関係の組織のような構造をしています。

3の「それぞれの構造がどのような性質を持っているのかについて」は、例えば、さぎほど見たように言葉は最終的に/s/とか/u/とか/k/という音素とよばれる「原子」に分解されますが、例えば、/k//s/はどのような特徴で異なっているのか、また「私・は・ショパン・が・好き」の「は」という語は文においてどのような働きをしているのか、またロシア語のアクセントの特徴と働きとか、様々な言語を構成する要素の特徴と機能を研究する分野です。

4の「言葉がどう変化(歴史的に発展)するのかについて」は、太古の昔、人類がどのように言葉を生み出したのか、また古代から中世、近代にかけて社会の発展と共に、言葉はどのような変遷をたどってきたのかを問題とします。

5の「文字の種類と特徴について」は、私たちは言葉を使って物事を考えたり人と会話するみならず、文章を読んだり書いたりします。このように、言葉には書き言葉と話し言葉がありますが、書き言葉は文字が必要不可欠です。日本語においては、仮名や漢字を使いますが、外国語では別の文字種が使用されます。言語学では、文字の種類やその特徴、また歴史的な発展や、古代文字の解読なども行われます。

6の「世界の言語の分類について」は、世界には、ロシア語や英語、スペイン語など非常に多くの話者を持つ言語のみならず、ポーランド語やフィンランド語、ビルマ語など一国の公用語となっている比較的話者の多い言語、ウドムルト語やオセチア語、クルド語などある国の少数民族の言葉、さらに古代ギリシャ語やサンスクリット語、シュメール語、西夏語などの現代使われておらず、古い文献に残っている死語など存在します。しかし、それぞれの言葉はまったく異なったものではなく、例えば数多くの言語には品詞の区別があるとか、ロシア語とポーランド語の名詞には活動体と不活動体という文法範疇があるとか、相違点だけではなく類似点も数多く見受けられます。このように言語学では、多種多様にわたる世界の言語から類似点や相違点を発見し、ある基準をもとに分類することもひとつの目的です。このような研究は言語類型論(лингвистическая типология)と呼ばれます。

7の「言語学の研究手法について」は、言葉を研究する際にどのようなアプローチの仕方をすればよいのかを問題とします。哲学に唯物論と観念論という2つのまったく相対立する方法があるように言語学の研究方法にも様々な流派が存在します。

8の「言語学で研究された内容が実社会でどう応用されるかについて」は、応用言語学ともよばれます。例えば、標準語を制定したり、辞書を作ったり、外国語教授法に言語学の理論が応用されます。近年では、自動翻訳や音声合成による案内などコンピュータで言語処理を行う際にも言語学で研究された内容が反映されています。このような言語学の領域を応用言語学(прикладное языкознание)と呼びます。

9の「言語学と他の学問との関係について」は、その名の通りで、例えば言語学と歴史学とはどう関係があるのかという問題を扱います。言語はそれ自体独立した体系ではありません。例えば、あなたが家族と話をするとき通常敬語は使いませんが、会社という別の社会集団に入れば上司に対して敬語を使います。また、私たちは日本人ですから日本語を話していますが、ロシア人はロシア語を話します。このような事例は、我々を取り巻く社会的な環境によって言葉が影響を受けるという証拠に他なりません。このように言語学は社会学とかかわりを持っています。このような「社会学的な言語学」を社会言語学(социолингвистика)と呼びます。言語学は、社会学以外にも、歴史学、考古学、文学、芸術学、哲学、心理学、人類学、地誌など人文・社会科学はもちろん、物理学、生物学、医学など自然科学との関わりを持っています。

もちろん、言語学が扱う分野は細かく見ていくとこれだけではありません、いろんな分野が存在し、いろんな流儀が存在します。その紹介はまた後日のお楽しみということに、、、

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言語学者はポリグロット?

皆さんの中には、言語学者はすごく言葉が堪能で、いろんな言葉ができる、いやむしろ出来ないと言語学者ではないというイメージをお持ちかもしれません。

理由は後述しますが、いろいろと言葉が使えると有利ではあるのですが、それがすばらしい言語学者であるとは限らないのです。逆の観点から言うと、英語だけでなく、ドイツ語、フランス語、ロシア語、スペイン語、中国語、、、何十ヶ国語を操れる方もいらっしゃいますが、その人が言語学者であるとは限らないのです。

確かに、ロシアにはかつて、母語であるロシア語以外に、日本語、中国語、ウズベク語、英語、フランス語、ドイツ語、ラテン語等40ヶ国語以上使えこなせた言語学者もいます。日本語方言アクセント研究の先駆者としてわが国でも有名なポリヴァーノフのことですが、ポリヴァーノフは「言葉の経験理論」を併せ持つまさに言葉の天才というべき人物は稀です。

さて、本題に入りましょうか。まず、難しい説明方法で行きます。言語学は、言葉の実習を極めるのではなく、言葉の論理的な法則性を研究する学問であるため、多くの言葉を知らないでもできます。多くの言葉を知っているということは、多くの言葉を実習で身につけたものであり、経験的で自然発生的で、無意識的なものです。それに対して、言語学は、論理的で、理路整然としており、科学的な方法論でもって研究されます。

別の観点から説明しましょう。「経験」と「理論」は相反するものとして位置づけられます。経験は実際に行うことによって、なぜこうなるかは詳しくは説明できないけど、しかし理解しているというものです。つまり「無意識の理解」です。それに対して、理論はまさに「教科書」通りのこと、つまり「意識的な理解」です。アルキメデスの法則という概念を理解するのには、二つの方法があります。一つ目は、実際に水の中にいろいろな物を入れてみて、軽くなっていると感じる、これがアルキメデスが言ったことだ!と理解する方法です。二つ目は、「水中に物体を入れたとき、その体積分の水の重さの分だけ軽くなる」という理解の仕方です。もうお分かりですね。前者は「感覚的」、後者は「理論的」なものの捕らえ方です。

さ~て、言葉の話、本題に戻りましょう。言語学は「ら抜き言葉」が正しいか間違っているのか、その表現は美しい日本語ではないという次元ではありません(この議論を扱う学問領域のを、「語学」といいます。語学についてはまたの機会に、、、)。例えば、「ら抜き言葉」を例にすると、言語学では次のようなテーマを追求します。ちょっと難しい言葉を使いますが気にしないでください。ら抜き言葉は、日本語の歴史上「異化」によって生み出された表現であるとか、文体という機能上、主として口語で用いられる表現であるとかです。難しいですね。難しくて当たり前なのです。なぜならば、言語学は、けしからん論とかではないわけです。客観性と論理性が問題とされます。

だから、無意識で感覚的である言葉の使用は、言語学とは一線を画すものです。言葉の実践と言語学とは、扱う対象が言葉であっても、先ほどのアルキメデスの法則の二つの捕らえ方のように、まったく相反するものです。

それが故に、言語学者は必ずしもポリグロットでないですし、特に外国語の場合ぺらぺらに喋ることが出来るわけではありません。また、ポリグロットであっても、言葉の仕組みがどのようになっているのか分からなくても経験で話せるため、言語学者であるわけではありません。

最後に、ロシアの偉大なポリグロット言語学者・ポリヴァーノフの肖像画をアップしておきましょう。 ちなみに、日本では、ポリヴァーノフは日本語学者、特にアクセント研究で有名ですが、ロシアでは必ずしもそうではありません。比較言語学者でもあり、少数民族の文字を作ったり、文法を編纂したり、言葉がどう変わっていくのか研究したり、東洋語を題材とした一般言語学の教科書を作ったりと多方面で活躍した人物です。かのボードワン・ド・クルトネの弟子の一人でもあります。ポリヴァーノフ特集は後日ということに、、、

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そもそも言語学って何?

言語学ってどんなことをするのというのは、言語学の教科書であれば必ず書いてあることです。ロシアのマースロフの有名な教科書には、「人間の言葉すべてに関わる問題を研究対象とする学問である」と書かれています。このように、言語学は言葉の科学であるという定義をよく見ますが、それってもっとわかりやすくいえばどうなのと思いません?

さて、私たちが外国語を学び始めた時を少し思い出してみましょう。例えば、ロシア語を例にすると、Шという発音は日本語の「し」の子音と違って舌をもっと奥にしてという類の説明がロシア語の入門書に書かれていて、日本語の「し」の子音ってどんな特徴をしていたっけ?とか、ロシア語の文法は、やらい複雑で、例えば名詞には性や数という概念があるとか、様々なロシア語の文法や発音の「決まり」が書かれていて、日本語って今まで意識したことなかったけど、ロシア語とは異なった特徴をいっぱい持っているなあという経験をされたと思います。このブログを見られている方は、おそらく日本語が母語の方がほとんどでしょうから、このように外国語を勉強するまでは、日本語の特徴を普通は知らないわけです。このように我々は日本語の言葉の仕組みを知らずに、正確には無意識のまま話しているわけです。外国語であるロシア語のШを発音するときとは異なり、「し」の子音の発音の際の舌の位置は後部歯茎であるとか、文法構造に関しても「道がきれいだなあ」と発話する際に、「道が」の部分が主語を表すために、「道を」ではなく「道が」となっているとはいちいち論理的に意識しません。

さらに、別の観点からそれを説明したしましょう。あなたは外国人から次の二つの文の意味の違いについてたずねられました。それにすぐ答えられますか?

1. 生活用水が不足するから、ダムを建設する
2. 生活用水が不足するので、ダムを建設する

上の二つの文は斜線で示した「から」と「ので」の部分でのみ異なっています。さて、「から」と「ので」の違いがわかりますか?おそらく、日本語学の便覧を引いたり、いろいろと考えたりしないと答えが出てこないと思います。我々がすぐにこの質問に答えられないのは、日本語の構造を意識して発話しているのではなく、無意識に言葉を発しているからに他なりません。

このように、言語学は、我々が無意識に話している言葉を分析し、またどのような仕組みになっているのかを明らかにしていく学問であるといえます

言語学の研究者は個別にいろいろとテーマを設定しますが、言語学一般(マクロ的)では次のようなテーマを追求します。

  • 言葉の本質的な特徴について
  • 言葉がどのように組み立てられ、構造的に分解できるのかについて
  • それぞれの構造がどのような性質を持っているのかについて
  • 言葉がどう変化(歴史的に発展)するのかについて
  • 文字の種類と特徴について
  • 世界の言語の分類について
  • 言語学の研究手法について
  • 言語学で研究された内容が実社会でどう応用されるかについて
  • 言語学と他の学問との関係について

追伸:「から」と「ので」の違いは、日本語学は「から」は口語(話し言葉)でよく用いられ、「ので」は文語(書き言葉)でよく用いられるものとされます。

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