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日本のポリヴァーノフとロシアのポリヴァーノフの評価

エヴゲーニー・ドミートリェヴィチ・ポリヴァーノフ(ポリワーノフ、ポリワノフとも日本語で書かれることがある)は、ロシアの天才的な言語学者として有名です。

ロシアの言語学者の中で日本で一二を争うぐらい有名な人です。

しかし、残念なことに言語学を志す人の中で、この人物を知っている人はごく少数のような気がします。

ロシア語学を専攻している人は勿論、日本語学が専門の人もポリヴァーノフが重要な位置を占めています。まず、外国人ではじめて日本語の音韻体系、アクセント、文法構造、方言学を記述した人で有名です。特に、日本語の方言について、また各方言のアクセント体系について分類したりするなど日本語音韻学、方言学の先駆者と言うべき人物です。

ポリヴァーノフは、ロシアのスモレンクス州のスモレンスクというベラルーシに近い町に生まれました。その後、ペテルブルグ大学で、ボードゥアン・ド・クルトネのもとで言語学を学びました。

日本語WIKIPEDIAよりポリヴァーノフの抜粋です。

ロシア出身の言語学者、ニコラス・ポッペの回想録によれば、ポリワーノフの講義は非常に優れたものだったが、その風体は「スラム街から来た浮浪者」のようだったとのことである。アルコール中毒者、麻薬常習者であり、泥酔して女子学生の部屋に侵入するなど不祥事が絶えなかった。片腕がなかったが、泥酔して市電のプラットホームに倒れた時に電車に轢かれたためである。

しかし、彼は紛れも無く、日本語・アルタイ比較言語学・トルコ語に関する研究で第一級の業績を挙げた優れた言語学者であった。また、スターリン体制下の共産党が公認していた奇矯な言語学説を、公の場で痛烈に批判したことは、非常な勇気を要することであった。アルタイ比較言語学の分野においては、モンゴル語、ツングース諸語と同じく、トルコ(テュルク)語にも長母音が存在した事を証明したが、アルタイ祖語の再構については懐疑的だった。日本語研究に関する主要な業績は、アクセント史の再構、方言区分論、琉球語音韻の歴史言語学的考察に関するものである。

1917年から1924年にかけての一連の論文において、西日本、特に土佐方言及び京都方言のアクセントが古形を保存していることを明らかにした。比較言語学の手法を取り入れたアクセントの本格的な研究は、日本では1930年代前半に服部四郎によって先鞭が付けられ、金田一春彦らによって推進されたが、ポリワーノフの研究はそれらに大きく先行するものだった。更にポワーノフは、アクセントが日本語系統問題を解明する決定的な手掛かりを提供すると主張した。

例えば、「朝」のアクセントは京都方言では a_()sa^(高低) という形をしているが、後半の特徴的なピッチの下降は、朝鮮語の「朝」 achΛm との比較から語末鼻音 m の痕跡と解釈される事、また「朝顔」(asagawo)のような合成語に見られる連濁現象( k からg への有声音化)も asam+kawo > asaNkawo > asagawo のような過程から生じた語末鼻音の痕跡であるとし、日本語の古形が子音終わりを許すものであったと主張した。

更に彼は、日本語のピッチアクセントを、アルタイ系言語における位置固定のストレスアクセントとは根本的に異なるものと考え、その起源をフィリピン諸語に求めた。また、日本語の「真っ黒」(makkuro < ma+ku+kuro は、接頭辞 ma を伴う形容詞 kuro の不完全重複形で、同一の形式がフィリピンやメラネシア諸語にも見られる事を指摘し、日本語は起源的に「オーストロネシア要素と大陸的なアルタイ的諸言語との混合物(アマルガム)」であると主張した。

これらの主張の当否はともかくとして、ポリワーノフの手法が、鋭利な観察と大胆な推論に基づいたものであった。ポリワーノフの業績は1960年代後半に村山七郎によって再評価され、日本語混合起源説は、ポリワーノフの没年に誕生したオーストロネシア比較言語学に基づく新しい知見の下に復活した。

ということで、ほとんど日本語のアクセントや方言、そして起源についての学説ばかりが目立ちます。彼の持論の日本語混合起源説は、「すべての言葉は混合語である」と言った師匠のクルトネの言語理論を受け継いでいます。

確かに、われわれ日本人にとってポリヴァーノフは、身近な日本語についての記事が多いです。さて、ロシアではどう評価されているのでしょうか。ロシア語WIKIPEDIAより抜粋です。

Евге́ний Дми́триевич Полива́нов (28 февраля (12 марта) 1891, Смоленск — 25 января 1938, Московская область) — выдающийся советский лингвист, один из первых советских социолингвистов.

ソビエト初期の主要な言語学者とされています。

Поливанов активно участвовал в революционной деятельности, в 1917—1918 годах возглавлял Восточный отдел Наркомата иностранных дел. Выдающийся полиглот, он внёс большой вклад в языковое строительство в СССР: разрабатывал алфавиты якутского, азербайджанского и узбекского языков, кодифицировал эти и другие языки, участвовал в становлении образования на местных языках. Автор системы кириллической транслитерации японского языка, известной как «система Поливанова». Выпустил «Введение в языкознание для востоковедных вузов» (1928), первый подобный учебник в СССР, «Грамматика современного китайского языка» (1930, совместно с А. И. Ивановым), «Грамматика японского разговорного языка» (1930), перевёл на русский язык киргизский народный эпос «Манас», работал над проблемами миграции сюжетов. Вместе с Ю. Н. Тыняновым, Б. М. Эйхенбаумом и другими известными литераторами стал основателем и участником «Общества изучения поэтических языков» (ОПОЯЗ). Первым разработал лингвистические («Русская грамматика в сопоставлении с узбекским языком», 1933) и методические («Опыт частной методики преподавания русского языка», 1935) основы обучения русскому языку тех, для кого он не является родным. Поливанову принадлежит ряд работ по общим вопросам лингвистической поэтики, а также поэтике восточных литератур (тюркской, китайской, японской).

まず、ロシアではソビエト初期の言語政策に積極的に参加したと紹介されています。ロシア革命とともにロシアの言語学者はロシアを去りました。ヤコブソンであり、トゥルベツコイであり、クルトネであり。しかし、ポリヴァーノフは祖国に残って、積極的にソビエト初期の多くの民族の言語を研究したり、文字を改定したりしました。上記の記事では、アラビア文字を使用していた、ヤクート語やアゼルバイジャン語、ウズベク語などの文字をおそらくラテン文字だと思いますが、改定したと書いてあります。

また、日本語の固有名詞、人物名や地名など、ロシア語でどう表記するのかという転写の方法も規則化して、現在のロシア語まで使用されています。例えば、ロシア語には日本語から借用したиваси(いわし)という魚がありますが、「し」という文字をшиではなくсиとするとかです。日本語のアルファベットでも訓令式とヘボン式とがあるように、ポリヴァーノフが決めた転写方法をロシア語で、система Поливанова(ポリヴァーノフ式)と呼ぶようです。

あと、日本語だけではなく、いろいろな印欧語、中国語、ウズベク語、グルジア語など様々な言葉を知っていて、ポリグロットであったとも紹介されています。言語の実用の面だけではなく、その文学の研究やもちろん言語学の研究もしてきたとも書かれています。今までは西洋語が中心だった一般言語学の世界で、日本語をはじめ多くの東洋語を題材として取り扱った人物でもあったのです。どうしても、日本でポリヴァーノフは、日本語学者、東洋語学者として有名なのですが、ロシアでは立派な一般言語学者でも有名なのです。

Поливанов совмещал научную деятельность с активной общественно-политической деятельностью. Он принял революцию и участвовал в гражданской войне и последующем переустройстве общества. Убеждённый интернационалист и борец за развитие малых языков, Поливанов много работал в области языкового строительства: особенно много он сделал для развития литературных языков Средней Азии, в частности, узбекского и дунганского.

ポリヴァーノフは、社会主義の運動にも参加し、まさにソビエトの言語学者でした。ソビエト連邦で話されている多くの言語の標準語を作ったり、文字を作ったりと、日本で知られているように日本語中心の活動だけでなく、「多くの民族の言語の祖」であったわけです。

このように、ポリヴァーノフは、ソビエト初期において多くの活動の中心的人物でした。ロシアでは、かの音素や形態素の概念を導入したロシア構造主義の祖・クルトネの弟子で、社会言語学者、東洋語学者として輝かしいロシアの言語学の一ページを飾る人物として紹介されています。

http://www.ruthenia.ru/apr/textes/polivan/list.htm

では、ポリヴァーノフが書いた論文の電子版を手に入れることができます。

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