カテゴリー「言語学と他の学問」の14件の投稿

言語学と心理学、認知科学

言語学と心理学とは、昔から仲良子よしの学問です。

心理学とは、人間の行動を説明する学問です。

言語学の一分野に心理言語学という分野があります。話すという行動は、どう人間の心理状態に影響するのか、また心理状態がどう言語の使用に影響するのか明らかにしていきます。

言葉の習得の問題も心理言語学で明らかにしますし、さらに言えば言葉と認識と言う言葉が出てくれば、認知科学という学問とも絡んできます。

認知科学とは、人間の認識がどのように行われているのかということを明らかにする学問です。

言葉は人間の認識の手段の一つです。例えば、「危険」という言葉は、危険なものと感じられるものとそうでないものとの区別をしているわけです。また、人間は言葉だけではありませんが、言葉を使用することによってものごとを考えます。いわゆる言葉と思考の問題ですが、人間の心の働きと言葉は密接な関係にあるとされます。

さて、どんどん難しい領域に入ってきましたが、次回は哲学と言語学との関係を見て、このシリーズの最終回としたいと思います。哲学と言語学とこれも昔から仲がよく、アリストテレスとかフンボルトとかマルクスとかいろいろな哲学者の言語観見たいのを少しだけ見ていきましょう。哲学は難しいのですが、何とか理解していただければと思います。

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言語学と文献学

文献学という言葉はあまり使わないかもしれないが、これは文学部という時の文学という意味と似た言葉である。

文学部では、言語学だけではなく、例えば徒然草とか日本中世文学を研究したり、ドストエフスキーの「罪と罰」に現れる言葉の用法を扱ったり、心理状況を説明したりする。

つまり、文献学は言葉に対して主観的にどう解釈するのかという学問である。

それに対して、言語学では言葉を科学的に分析する学問である。

その研究の差異は、次のように比較するとわかりやすい。

例えば、日本語には「ら抜きことば」という文法的な現象がある。まず、言語学的な観点からこの現象を説明すると、「れる」とか「られる」という助動詞は、実にたくさんの意味を持つ語彙である。「見られる」というと「見ることができるのか」、「尊敬をこめて御覧になられる」という意味なのか、「他人に見られる」という受け身の意味かどれだかわからなくなってしまう。そこで、同一の形に多くの意味を持たせるのは、あまり好ましくないので、「可能」の意味をあらわす場合は、「ら」を抜いてしまって、「見れる」としましょう。あとの、尊敬の意味と受け身の意味は従来の「見られる」という形式で表しましょうという異化の現象であると説明されます。さて、言語学の観点からみると、ら抜き言葉はこう説明されます。

しかし、文献学では、このような分析はしません。このら抜き言葉は日本語としてふさわしくない、砕けた言い方だ、やめるべきだ、また大衆の前では使用を控えるべきだという主観的な意見を述べる学問です。さらに、文献学では、ロシア語は美しい言語であるかとか、きれいな日本語を話すべきだとかいろんなことをします。これらは、言語学ではありません。

しかし、言葉の用法や発話状況、また言葉によって作られた文化研究する点で文献学と言語学は親密な接点を持ちます。

言語学の歴史を見てみると、古代ギリシアでもインドでも本居宣長でもそうなのですが、文献学から体系的で化学的な言語学へと発展しています。また、言語学の歴史は印欧語比較言語学から始まりますが、サンスクリットとギリシア・ラテン語との類似に気づき、それが昔同一言語ではなかったのではないかと提唱したジョーンズも、インドの文化や古代文献を研究する学者でした。

言語学と文献学、いわゆる文学とは方向性が違うものの切っても切れない関係にあります。

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社会学と言語学

社会学とは、人間の作り出した文化や風習、習慣などを含めてそれを社会と言い、社会を研究する学問のことを言います。

社会学と言語学は、昔からすごく仲が良く、ロシアでもフランスでもアメリカでも日本でも社会学と言語学とのつながりをもたせた研究がすすめられてきました。

特に、ソ連の言語学では、社会と言語の関係の研究が盛んでした。社会主義という立場をとっていたためか、ポリヴァーノフやショルとかいろんな学者がいました。

言葉は社会を反映するそして社会が言葉が影響することは言うまでもありません。ドイツの言語学者フンボルトは、その言語の話者の民族の精神やしゃかいが言葉に表現されると言いました。また、サピアとフォーフは、言葉は民族の文化や社会風習によって影響を受けるといういわゆる言語相対論という仮説を唱えました。

さて、難しいことを書きましたが、日本語の敬語について少し考えてみましょう。日本人は、相手の社会的立場によって文法的に敬語をあらわす言語です。「私は行く」と「私は行きます」の違いは、「ます」という語彙があるか否かの差だけではなく、丁寧か普通かによって使い分けられています。この敬語という現象は、世界的にみると文法的にはっきりしている主要言語は日本語と韓国語だけといわれています。

これは、日本人や韓国人の社会が縦社会であるという言葉への反映ともとらえられます。まだまだいろいろな社会と言葉との接点があるのですが、このように社会が言語にどう及ぼしているのかを研究する領域を社会言語学といいます。

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言語学と記号論

久しぶりにこの他の学問シリーズに戻ります。

さて、有名な言語学者の言葉から今回の記号論と言語学との関係を見ていきましょうか。

「言葉は記号である」、言語学を目指す者ならだれでも知っているソシュールの言葉です。

言葉はなぜ、記号なのでしょうか?

記号と言うと、\とか$とかも記号になるし、道でよく見かける標識や禁煙のマークなどもそうです。あと、最近はやりの>o<とかいった顔文字とかも記号なのです。これかのものと言葉はどういう点で、接近点があるのでしょうか。

答えは簡単で、記号とは表わすものと表わされるものの2つの側面を持っているということです。記号は、\とかのように\という表す形と、「日本円」という表される意味を持つからです。

言葉も同じで、言葉とは音もしくは文字の連続です。その音が集まって、ある意味や意図を表していることから、言葉は記号ということになります。

このように、言葉は記号の一種ですので、記号論の研究が言語学にとって非常に重要となっています。ちなみに、「言葉は体系的な記号である」という論文や著書を世界ではじめて出したのは、ポーランド生まれのロシアの言語学者クルシェフスキーだと言われています。

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言語学と考古学

考古学とは、歴史研究のうち、遺跡を発掘したりするイメージが強いより実務的な研究をすることの多い学問である。

古代遺跡を発掘していくと、建築物や昔の人が使っていた土器や石器などいろいろなものが発掘されることがある。

その中に、その古代文明の生活がどうであったのか示してくれる文献や碑文が発見されることがある。いわゆる、文字の解読の問題だ。

過去に、印欧語でいえば、ヒッタイト、トカラ、ソグド、アヴェスタ、トラキアなど、その他の系統では、アラム、フェニキア、エジプト、エトルリアなどの碑文が発見され、解読が行われて、その文明や文化の言葉のありようとともに、どんな言葉であったのか、またその系統はどうなっているのかが明らかにされてきた。

単純なつながりであるが、言葉という媒介を通じて遠い遠い昔の生活を垣間見ることができるわけである。

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法律学(法学)と言語学

さてさて、こんなのに接点があるの?という、二つの学問の組み合わせを持ってきました。

法律学と言語学はどうつながっているのか、というのを今回の議題としたいと思います。

法律学、もしくは法学とは、その名の通り、ある国家における社会的な決まり事を規定した文章のこと、つまり法律を研究対象とします。

我々の社会には、様々な決まり事があり、国家によって異なっています。立法と司法と行政はそれぞれ独自に分離した権限を与えられる、というのが日本国憲法の何条かに規定してあったと思いますが、行政と立法を握っている機関が同じ国家もあるかもしれません。このように国家の決まりごとを文章化したものも法規の一つですし、三権分立がなされていない国もあればしてある国もあるといった様に、国家によって異なっているものです。

さて、ここで考えたいのは、言葉に関する法律はないか?ということです。

日本で用いられる公用語は、日本語である。これは、法律によって言葉が左右されているという現象の一つです。例えば、日本の立法機関が、明日から日本の公用語を英語にしようと決めると、我々は困ってしまいますが、法律という国家権限によって言葉を変えることだってできるわけです。まあ、こんなことはしないですけど。

日本の公用語は、日本語である。という法律的な規定は、当たり前のことなのですが、すごく大事なことなのです。英語にいきなり変えてしまうと社会が成り立たなくなりますね。

さて、もう一つの例ですが、ロシア連邦の各共和国には、それぞれの共和国により言葉、特に公用語に関しての法律による規定があります。例えば、サハ共和国の憲法には、ロシア語と並んでヤクート語をサハ共和国の公用語とするという記述があります。

以上が、言葉に法律がどう絡んでくるかという話でした。ちょっと社会学ぽかったと思いますが、理解していただけましたでしょうか?

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歴史学と言語学

歴史学とは、その名の通り、歴史に関して研究したり、その研究方法を確立していく学問です。

はるか昔の時代の生活や出来事などを文献などによって、この時代のどこで何という事件が起きたのか推測していく学問です。

ここで、歴史について考えてみましょう。歴史は時間を軸として、あるものの変遷を見るという観点を持ちます。例えば、車の歴史について考えてみましょう。初めは、蒸気機関で走らせていたものが出てきて、近年はガソリンが燃料として使われている、次世代はバイオ燃料とか、ハイブリット、さらに未来は電気自動車になるであろうと予想できます。

以上のように、文化でも、文明でも、時間というものがある限り、そのものは歴史を持ちます。

言葉も同じです。江戸時代の日本語には、「パソコン」とか「テレビ」という語彙はなかったはずです。というのは、その時代には、そういうものはなく、語彙として他のものと区別する必要がないので、当たり前のことなのです。このように、言葉は歴史によって変化するものなのです。

上記の例は、語彙に関しての歴史的変化ですが、文法や音声に関しても、言葉は変わっていくものです。そして、ロシア語なら中世のロシア語と現代のロシア語、またキエフルーシのロシア語、スラブ民族が同じだったころのスラブ祖語とどういうふうに異なっているのか、またどう変わったのか、変わった理由はなぜなのか、といった「言葉の歴史」について研究する言語学の一分野を、歴史言語学といいます。

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音響学と言語学

物理学の一分野で、音の研究をする分野を音響学と言います。

例えば、トラックエンジン音とプリウスみたいなハイブリット車のエンジン音とは、違う音に聞こえます。さて、どう違うのでしょうか?音声分析装置を持ってきて、大きさや低さがどう違うのか研究したりするのが音響学という分野です。

音は、波と同じ原理でできています。何らかの方法で振動を起こすことにより、音という波を発生させます。また、空気や水という波を伝える媒介があってこそ、音は伝えられるわけであって、宇宙空間など真空に近い状態では、音は伝わらないとされます。

さて、言語学の対象である言葉と音とはどう関係あるのでしょうか?

それは、人間は音を使用して言葉を使っているということろから始まります。確かに、書き言葉というものがありますが、それは文明ができてからであり、本来は言葉は音で伝えられるという事実があります。

このように言葉という音の塊を、言語学では「言語音」と言い、自然界の騒音とか音楽とか、風の音とかと区別します。

従って、言葉は音である限り、自然界の音と同じ特徴である波という性質を持ちます。さて、言葉は自然界の音とはどう違うのか?どうやって人間は言葉という音を発しているのか?とか言語音の音響学的特徴を研究する分野が生まれました。

この分野は、音響音声学と呼ばれます。

次回は、歴史学と言語学について接点を探りたいと思います。

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言語学と解剖学

解剖学とは、言うまでもなく、いろいろな動物の体を分解して、その働きを調べたり、どういう作りになっているのか明らかにする学問です。

さて、人の体を分解するということは、言語学とどういう関わりを持つのでしょうか?

ひとつの接点として、我々が言葉を話すとき、口とか肺とか鼻とか、いろいろな体の一部を使って言葉を発しているということです。

言葉という音を人間はどの器官を使用して、それをどう働かせて音を発生しているのか明らかにする分野のことを、調音音声学と呼びますが、まさしく、この分野は、人間の口の中の構造を見たり、いろいろと解剖学的なことが出てきます。

言語学の中で、音声学という分野は、理系的なことがよ~く出てくる分野です。今度は、物理学の一分野である音響学と言語学についてつながりを見たいと思います。

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言語学と教育学

教育学とは、言うまでもなく、人にものをどうやって教えたらいいのか、特に学術的なことを教える場合、どうすればよいのかということを考える学問です。また、教育学は、人がどのようにして発育していくのかということも問題とします。

さて、人間はどうやって言葉を習得していくのだろう、というふうなことを考えてくると、人間はどうやって発育するのかということと大きな関わりを持ちます。

また、外国語を教える際に、例えばロシア語でも英語でもいいのですが、文法とか単語とかいろいろと覚えますね。文法とは、言葉の規範です。母語話者にとって無意識に話されている言葉を、整理して体系的にまとめて、ロシア語の形容詞はこのような仕組みになっているので、仕組みを覚えるというのが文法を習得するということです。

そのようなロシア語の仕組みは、実際の運用ではなく、そこから抽出された論理的、科学的なものであるため、言語学の成果です。たとえば、ロシア語の形容詞が格と数と性により変化し、同じ名詞でも変化のパターンに色々あるので覚えて、実際の会話に使うということは、言語学を応用しているわけです。

さて、前置きが長くなりましたが、言葉を教えるということに言語学の成果が反映されているということになります。

また、どうすれば効率よく言葉を教えることができるのか、言語学の理論をもって、外国語の教育に役立てるのか考えていく、学問分野があります。いわゆる、外国語教授法というものです。

以上のような教育学は、言語学と接点を持っています。

次回は、生物学の一分野である解剖学と言語学の接点を探ってみましょう。

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言語学と民族学

民俗学ではなくて、民族学と言語学の接点について今回は書きたいと思います。

民族学とは、世界には様々な民族というのがございます。日本人、ロシア人、アメリカ人その他いろいろ。

言葉は、民族を規定する一つの物差しでもあります。たとえば、日本語を母語としているので、日本人であるとかといったところです。もちろん、例外などもありますが、、、

また、世界の言葉を分類したりすることは、民族を分類することにもつながります。また、その民族の文化や風習、歴史などが言葉に反映されるという学説もあります。いわゆる、言語相対論というやつです。

このように言語学と民族学は接点を持っています。

次は、言語学と教育学について書きたいと思います。

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言語学と脳科学

医学の一分野である、脳を解析する分野のことを脳科学といいます。

別名、「小宇宙」とも言われる人間の脳は、不思議に満ちた部分です。

脳科学と言語学との接点を述べるとき、なぜ人は言葉を使うことができるのか?という問題から入るかと思います。

それは、人間の脳の一部に言葉を理解する場所があって、脳の命令は信号ですので、何らかの信号を送ることにより言葉を話したり、聞いたり、理解したりしていることになると考えられています。

その証拠に、脳梗塞という脳の機能が一部破壊されてしまう病気にかかると、人間は全く言葉を使えなくなったり、文法がメチャクチャになるなど正常な使用ができなくなることがあります。

いわゆる失語症という病気ですが、その病気を詳しく解析することにより、言葉の運用に関わるいろいろな脳の働きというのが明らかになってきています。そして、母語や外国語の習得をするとき脳のどこの部分がどうなるのかというのも医学的に見ると面白いでしょう。

このように言葉と脳の言語システムとの関係を見る言語学の分野を、神経言語学といいます。

次は、言葉と民族学との関係を見ていきたいと思います。

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統計学と言語学

統計学という学問がある。

数学の一分野で、確率や標準偏差などいろいろなデータ分析を行う学問のことを言う。

私は数学に関してかなり素人だが、統計という手法は、足し算や掛け算といったものの次に社会に応用されているような気がする。

例えば、製造業の品質保証(品質管理、QC)で、不良率の計算や寸法のバラツキなどを計算するppkなどの概念など、統計学の理論が応用されている。

言語学に関しても同じで、例えば「から」と「ので」の違いを調べていくと、どうも「から」は口語で「ので」は文語で用いる助詞だという傾向が見えてくる。そこで、文語の文体を持つコーパス(文書のデータベース)と口語の文体を持つコーパスと、「から」と「ので」の出現する割合を比較してみるというのも説得力のある議論だろう。

また、ロシア語と日本語を比べてみると、ロシア語の方が形容詞が多い気がする。よし、コーパスから全体の語に形容詞が占める割合を引き出してみるとかすると、より説得力が高いものになる。

このように、統計学的な方法を応用して、言語学の分析を行っていくとかなり説得力のある議論ができるわけである。もちろん、統計自体が抜き取りでもって行われるため、そのものにバラツキがある程度あることも言及した上で議論を進めなければならないが、、、。

統計学と言語学。一見何もつながりがない学問であるように思えるが、統計学の手法は言語学にとって画期的な分析方法であろう。

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言語学と他の学問とのかかわりについて

言葉は、それ自体独立した体系ではありません。

言葉は、発話している人の置かれているあらゆる状況において初めて成り立つものであって、それとの関連性を忘れてはならないというのが私の持論でした。その発話する人の歴史的背景、社会的背景、心理的背景、どういう認識をしているのか、どういう状況におかれているのかということにすべて影響されます。

例えば、「君は賢いね」という発話があったとします。本当に「君は賢い」という意図なのでしょうか?「君は(ずる)賢いね」という意図でしたら、皮肉ということになります。同じ音の塊、語の塊でも、発話者の意図、状況、そして相手に対する認識の仕方などなどによって同じ言葉でもこんなに違うのです。

従って、言語学はそれ自体で独立したものとして位置づけるものではなく、他の学問領域とも関連性を持つものです。私は、言語学の専門家なので、他学門に通じているわけではないのですが、言葉というものを媒介して人間の高度な思考やコミュニケーションが成り立っている以上、すべての学問は「はじめに言葉ありき」であると考えます。

この「言語学と他の学問」シリーズでは、社会学や心理学、認知科学や生物学、物理学や経済学、哲学や地理学、歴史学や考古学、そして文学や数学、教育学などありとあらゆる学問と言語学との関連性を見ていく壮大なものとしていきたいと思います。punch

ちなみに、、、

そういう点で、チョムスキーの生成文法とは大きく異なっています。以前にも書きましたが、チョムスキーの生成文法が目指すのは、言葉を、もしくは言語学を独自の体系として、つまりそれのみで自律している体系である、そして言葉は規則や制限によって織り成すものであるという考え方です。

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