恣意的記号。さて、言葉という記号は、イコン、インデックス、シンボルの3種類の記号のうちどれになるのでしょうか?そこで、昨日の表をもう一度ご覧下さい。
同じ「夜空に点々と輝く天体」という所記と能記との関係です。日本語では「ホシ」、ロシア語では「ズベズダー」、英語では「スター」、古代ギリシア語では「アステール」というように能記(つまり、記号)は言語が変われば異なっています。さらに、日本語の「ホシ」でもロシア語の「ズベズダー」でも何語でもそうですが、hosiとかzvezdaという音の集合は、√と「平方根」と同じように、表される内容(所記)の☆のような姿とはまったく何を要因として結び付けているのかは動機がなにもない(つまり、有縁性が無い)ため、シンボル記号となります。ここでは、言葉を記号としてとらえた際、恣意的な特徴を持っていると紹介しましたが、恣意性を挙げるだけでは言葉は√など他のシンボル記号と区別がつきませんよね。次に、言葉は恣意性以外にどのような特徴を持った記号であるのか簡単に紹介しておきたいと思います。
第二の特徴として、まず、忘れてはいけないのは、言葉は音声的な記号ということです。つまり、空襲を知らせるサイレン(「敵が襲ってきたぞ」という表されるものを、「ウ~~~~」という音で表す)や、動物の鳴き声(猫はいやなことをされると、「ギャー」と鳴きますね。これは、「いやだ!」という感情を「ギャー」という音で表しています)となど同じく、音により何らかの意味を表す記号です。ここで、あれっ?と思われた方もいると思います。言葉は図によっても示されるのではないのかという疑問です。古代エジプトでは、言葉を記すのに次のようなヒエログリフを使っていました。
これは、イコン記号、つまり音ではなく図によって表現された言葉だという疑問です。ヒエログリフは極端な例ですが、世界の主要な言語には文字という、音という聴覚ではなく、図形という視覚で見る方法でも言葉を表す記号を使用します。しかし、ヒエログリフにしろ、漢字にしろ、ギリシア文字にしろ、文字という図形を音に置き換えて我々は認識しています。「あの花は美しい」と文字づらは書かれていても、頭の中で意味を理解するプロセスでは、音という記号に変換してその意味を認識しています。文字という図形で表さなくても、言語という記号は成り立ちます。その証拠に、文字が無い言語も存在しますし、文字を知らない子供は読むことは出来ませんが、言葉を話し聞くことは出来ます。このように、言葉は音声的な記号であります。
第三に、音による記号であるということを前提に、人間の言葉は音声記号を組み合わせることができるという特徴を持っています。先ほど猫の鳴き声の例を出しましたが、猫の鳴き声「ギャー」(いやなことをされたとき、不満を表す鳴き声)、「ファオ」(発情の際異性を呼び寄せる鳴き声)など数種類しかなく、「ファオギャー」のように組み合わせて、例えば「失恋してショックという感情」(笑)を表すということはできません。しかし、人間の言語記号はいくらでも組み合わせることが可能です。taは「田んぼ」を表し、kiは「木」を表しますが、それらを合体させてtaki「滝」という意味を表す記号を作ることができるのです。つまり、言葉は構造をなす記号体系です。この構造性については、すごく大事なことですので、後日解説します。
第四の特徴として、組み合わせが可能であるということを前提に、記号を組み合わせる場合、それには決まった並び方があるということです。「ここは」と「寒い」という意味・形式とも別の言語記号を同じ人が同時に発話するなんて聖徳太子もできませんよ。できたら神業です(笑)。「ここは・寒い」のように、「ここは」が先に来て、「寒い」が後に来ます。つまり、言語記号を組み合わせる際、時間的に前後ろという順序をつけたり、文字であれば空間的に横や縦に並べることによって記号を組み合わせます。その証拠に、記号を組み合わが逆になると、表す意味が変わるということも起こってくるわけです。「利き」と「手」という記号を組み合わせて、あらたな意味を表す複合記号を作るとします。まず、「利き手」とした場合は「何かをするときに通常使う手」という意味になりますが、逆の複合記号を作った「手利き」の場合、その表す意味は「特技などのうでが優れていること。また、その人」を表す意味となります。このように、言葉という記号体系は、それを構成する下位の記号が同時に現れるのではなく、ある定まった順序沿って並んでいます。このような、特徴を線状性(линейность)といいます。
第五の特徴として、音声記号で表すだけではなく、言葉は概念(понятие)を表すことができる記号です。概念とは、本質的な特徴だけを抽出したものを概念といいます。具体例を出すと、「りんご」という形式(能記)で、この世に存在する全てのりんご、2004年2月20日18:00に青森のAさんの農園で取れたもの、1年前にスーパーで売り出されているもの、今あなたが食べかけのもの、100年後消費されるものすべてひっくるめてありとあらゆるりんごを「りんご」という記号で表すことができます。言い換えれば、りんご一般(りんごという概念)を「りんご」という形式で表すことができるということです。
第六の特徴として、概念を表すことができるということを前提に、言葉は姿かたちがない抽象的なものをも表すことができます。まあ、言葉はそういう記号ですので、人間は事実とは異なることを話す、つまり嘘をついたりできるのです。まあ、それはさておいて、言葉はシンボル記号、つまり能記と所記の結びつきが恣意的な記号であるため、これによって我々は、猫や天気など具体的に映像に出来る概念だけではなく、人間性、やさしさ、真理など映像にはできない高度な抽象概念をも作り出すことが出来ます。このような抽象概念には、姿というものはありませんので、言葉という恣意的な記号の力の借りる必要があるということです。
最後に、言語学の歴史において、言葉の記号性について初めて言及したのは、ロシアの言語学者のボードワン・ド・クルトネとその弟子のクルシェフスキーであります。しかし、ロシア以外では、またロシアでも大半の言語学者の認識としては、ソシュールの「一般言語学講義」が言葉の記号性をはじめて説いた著書とされます。ただし、「言葉は恣意的な記号である」とは必ずしも言えない例があります。それについては、次回検討しましょう。
最近のコメント